「小僧」上がりで「兜町の天皇」へ 太っ腹で厚い人望 遠山元一(上)
「小僧生活」を経て「兜町の天皇」へ――。遠山元一は兜町随一の相場師でした。豪農の家に生まれたが、奉公に出され、いくつか仲買を転々とし、川島屋商店を創業。バブル崩壊や昭和金融恐慌を乗り切り、日興証券の社長や会長を歴任して、戦後の日本の証券業界の近代化に尽力しました。肥大円満で、太っ腹。そして社員思い。マスコミ受けもしたという遠山の前半生を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。 3回連載「投資家の美学」遠山元一編の第1回です。
やせ型の神経質な相場師はいない
肝っ玉の太さがモノを言う勝負の世界では、古来やせた相場師は少ないそうだ。「昨今成功している相場師をみても、多くは肥大円満の太っ腹の人間であって、1人もやせて神経質な人はいない。彼らが成功したからそうなったのではなく、健全なる体質及び胆勇を有しておればこそ、成功したのだ」(石川天涯著「東京学」) そういわれると、「売りのヤマタネ」山崎種二も「買いのブーちゃん」佐藤和三郎合同証券社長も堂々たる体格の持ち主である。遠山が同郷の大相撲若秩父関と並んでいる写真を見ても関取と引けを取らない恰幅の良さ。 昭和10(1935)年、遠山は45歳の円熟期を迎えていたが、兜町ウォッチャーの間ではこんなことがささやかれていた。 A「兜町には角七という豪傑がいる」 B「遠山元一のことでしょ。あれが豪傑ですか。役者のようなやさ男じゃありませんか」 A「体は優しくても胆は大きい。当今では兜町随一の相場師じゃ。男性的な相場師じゃよ」 B「小僧からたたき上げた生っ粋の兜町っ子だけに相場師の何か、をつかんでおる」 A「相場師として傑出しているが、仲買店の経営者としても相当の手腕をふるっておる」 戦後、産業経済新聞社の論説委員を務めた著名のジャーナリスト菱山辰一が 書いている。 「遠山元一は豪胆であり、大きな勝負師である。と同時にお客を大切にし、 いいお客がつくようにサービスするということを忘れなかった。しかも苦労人 だから社員を大切にする。彼のためならば馬前で死ぬという人間が多いのも、彼をして兜町の大御所たらしめた」(「戦後事業家列伝」)