昭和かよ、昭和じゃねーよ! 中年女性のやぶれかぶれに「令和」感 私たちは悪い時代を選んでいるのか 北原みのり
作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は2つの性犯罪事件の「無罪主張」に思う、日本社会の「タイムスリップ感」について。 * * * 渋谷のスクランブル交差点でのこと。青信号に変わり人々が大量に道の真ん中に流れ込むなか、特別に目立つ女性がいた。彼女はゆったりとたばこを吸いながら歩いていた。コートも着ず、毛玉のついたヨレヨレのトレーナー上下で、伸びた髪を後ろで一つにまとめ、がに股で、空を見上げるように歩いていた。ホームレスかもしれないが、それにしては荷物は小さなリュックだけで、軽そうだ。髪の毛は真っ黒で、まだ若いのかもしれないが、身体から放つ空気は多分50代前半だろうか。四方八方から人々がせわしなくすれ違う交差点の真ん中で、火をつけたばかりの長いたばこを片手にした女性は、クッキリと周りの景色から切り取ったように、浮いていた。 私は彼女の真後ろを歩いていた。すれ違う人はもれなく彼女を振り返っていた。あからさまに睨みつける人、興味深そうにのぞき込む人、わざとらしく大げさに避ける人……彼女の後ろを歩いていた私は、彼女から流れるタバコの煙を直接受けながら、彼女を凝視する人たちの顔を見ていた。こんなふうにジロジロ見られて気にならないのかなぁ……と思いながら、ふと、変な考えがよぎる。 あれ? もしかしてこの人、タイムスリップしちゃった人? 「すみませ~ん、今、何年ですか?」なんて聞いてみちゃったりしたら、何年って答えるのかな~、2024年の渋谷で歩きたばこはできないんだよって言ったら驚くだろうなぁ~ハハハ~なんてことを想像しながら歩いていた。 その時、前方からすれ違った若い男女カップルが、彼女の顔をのぞき込み、すれ違いざまにこう言うのが聞こえた。 「うわー、昭和かよ」 え? 違うよ、昭和じゃねーよ!!
驚いたことに、反射的に私は心の中でそう叫んだのだった。私自身が「この女の人、タイムスリップしちゃったのかな」と思っていたというのに、目の前の20代の若者たちがバカにするように吐いた「昭和かよ」という言葉に反応してしまったのである。昭和じゃないよ! 昭和に、こんな女の人はいなかったよ! なんだかそう訂正したいような気分になったのだった。 そう、私の記憶ベースでしかない話。でも、昭和にこんな女の人はいなかった。強い北風が吹く12月、真昼の渋谷のスクランブル交差点で、薄汚れたトレーナー1枚でたばこを吸いながら歩く中年女性。そんな人は、いなかった。いや、いたかもしれない。いたかもしれないけど、もしいたとしたら、それは彼女のような感じじゃなかった。そもそも中年女性がたばこを吸うとしても、歩きたばこをしていなかった。歩きたばこはほぼほぼ男の専売特許だった。そもそもタバコは、今思うと信じられないが「かっこいい大人のもの」として考えられていた。そう、なんだか違う、違うのだ。 そして少しハッとするような思いになる。疲れ果てた中年の女性が、やぶれかぶれな感じで、スクランブル交差点でタバコをふかしながら空を見上げるのって、もしかしたらとても令和的なことなのではないだろうか、と。4年前、都内の路上で、コロナ禍で職を失った60 代の女性が40代の男に撲殺された事件で味わった恐怖が、私の心の奥底にペタリと張り付いたままだ。私たちは、幸せな老後を、信じられなくなっている。私たちは、年を取るのが怖い。死ぬのが怖いのではなく、社会に大切にされないのが怖い。 人々から冷たい視線を浴びながら、冬の街を薄着で歩きたばこする中年女性の後ろ姿に、私は勝手に自分のいろいろを投影したのかもしれない。今の私には家がある、今の私には家族がある、今の私には仕事がある、今の私には……でも、私はもしかしたらあなたかもしれない。同じ時代を生きてきた同じ性別の人の背中に、「昭和にはなかった」、少なくとも「子どもだった私には見えなかった」、社会から捨てられそうな女の人のやぶれかぶれを見たのだと思う。令和的なものとして、それが見えたのだと思う。