佐々木麟太郎の17年前に“高卒で渡米した”球児は現在…「4人の先駆者」のキャリアを辿る
日本を経由せずにメジャーリーガーになった田澤純一
社会人野球で活躍し、ドラフト前にさまざまな話題を振りまいたのが、田澤純一。現在は、かつて海を渡る前に所属していたENEOSに復帰しているが、れっきとした元メジャーリーガーである。 2008年にボストン・レッドソックスに入団。アマチュアでプレーしていた選手では、日本のプロ野球やマイナー契約を経ず、メジャー契約を結んだ初の日本人選手に。メジャーデビューした翌年から、着実にキャリアを積み重ねる。第一線で活躍し続け、特に、シーズンはもちろん、ポストシーズンも活躍し、上原浩治(元・読売ジャイアンツ)とともにワールドシリーズ制覇に貢献した2013年の姿は鮮烈だった。 この田澤の活躍があったからこそ、NPBを経由せずともメジャーリーグに挑戦できる土壌ができたのは間違いない。時代が違えば日本代表としてマウンドに上がっていたはずだ。
高校卒業後に渡米していた鷲谷修也
斎藤佑樹(元・北海道日本ハムファイターズ)を擁する早稲田実業と、3連覇を狙っていた駒大苫小牧で決勝を争った2006年夏の甲子園。当時、駒大苫小牧のエースだった田中将大(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)とチームメイトだったのが鷲谷修也だが、実は高校卒業後に渡米している。 半年間英語を勉強した後アメリカ・カリフォルニア州のデザート短大の一般入試を受けて合格し、野球部に入部。リーグ戦で活躍したことにより、メジャー球団から調査書が送られてくるようになる。その結果、2008年のメジャーリーグのドラフト会議で42巡目(全体で1261番目)でワシントン・ナショナルズから指名を受けるが、短大から大学への編入を考えていたため辞退。翌年も、14巡目(全体で412番目)で再びナショナルズに指名され、「オフに北海道に戻って多くの人が応援してくれていることを知り、チャレンジを決めた」と意気込んで契約。しかし、2010年にルーキーリーグ開幕前に解雇され、日本に帰国して石川ミリオンスターズでプレーしたが2011年に現役を引退した。 現役引退後は、渡米した経験などを活かし、2011年に上智大学に編入し、2014年に卒業。2014年には、三井物産に入社し、現在は商社マンとして活躍している。 野球では、プロ野球選手やメジャーリーガーとはいなかったが、アメリカで生活した経験により、ポジティブシンキングになったという。アメリカの経験で「ミスを恐れない」考え方に変わり、現在のビジネスの場でもそのマインドが活かされているのだろう。