佐々木麟太郎の17年前に“高卒で渡米した”球児は現在…「4人の先駆者」のキャリアを辿る
高卒での“メジャーリーグ挑戦”を公言していた大谷翔平
名実ともに「世界一の野球選手」と言ってもいい大谷翔平(現・ロサンゼルス・ドジャース)。彼もプロ入り前に、高卒での“メジャーリーグ挑戦”を公言していた。しかし、当時北海道日本ハムファイターズの監督を勤めていた栗山英樹氏の説得により、まずは日本で経験を積むことになった。 もちろん、入団前の時点ではOB含め賛否両論がはっきりと分かれていた。これまでのプロ野球の歴史を振り返っても、二刀流として成功した選手は誰一人いない。栗山氏は、辛抱強く大谷を開幕から二刀流で起用し続け、2年目から文句なしのキャリアを積み重ねていくことに繋がる。そして、5年目の2016年には球団に恩返しするかのように投打で圧倒する活躍を見せ、最大11.5ゲーム差をひっくり返して逆転優勝。日本シリーズでも、最初の2戦で2連敗と劣勢だった中で、大谷が3戦目にサヨナラタイムリーを放った。その後、チームは一気に勢いに乗っていき、4連勝で日本一に輝いた。 個人としても、史上初の投打でベストナイン(投手と指名打者で受賞)やシーズンMVPに輝いている。この時の大谷は、日本でやることはほとんどない状態だったと言っていいだろう。その後、2018年にメジャーリーグでデビューし、新人王を獲得。2021年にはシーズンMVP、2023年にはWBCとシーズンMVPを獲得。 大谷の場合は、不世出の才能を信じたファイターズがのびのびとプレーできる環境を設けたことが奏功した。日本のプロ野球でしっかりとキャリアを築きながら、メジャーリーグで活躍できる土台を作った結果が今の成績に結びついている。
史上初の快挙を成し遂げた加藤豪将
昨年からファイターズでプレーをする加藤豪将は、親の仕事の兼ね合いで、幼少期からアメリカで育った。高校時代は、米カリフォルニア州サンディエゴのランチョ・バーナード高でプレーし、ドラフト会議に選ばれる前は、33試合に出場して打率.355、本塁打11本塁打、33打点を記録。高校卒業後は、メジャーリーグのドラフト会議で、ニューヨーク・ヤンキースから2巡目(全体66番目)で指名された。 日本国籍を持つ選手が、メジャーリーグのドラフトの全体100番目以内で指名されるのは史上初の快挙である。しかし、メジャーリーグの道は険しく、なかなかメジャーの舞台には立てないままだった。2022年にようやくメジャーのロースター枠に入り、8試合に出場。 ただ、出番がもらえない日々が続き、2022年の日本のプロ野球のドラフト会議にて、ファイターズから3位指名される。日本球界の1年目は自主トレーニング中に右示指末節骨骨折するなど怪我に苦しむ状況の中で、62試合に出場して打率.210、6本塁打、16打点を記録。まだ2年目とはいえ、30歳になる。早くも正念場と言えよう。 加藤の場合は、高校卒業後の若手の頃に体型や体力に合った基礎練習をしていくなどを含めた下積み期間がなかったことが痛かった。たらればにはなるが、怪我の多い現状を見ると、日本のプロ野球を経験してからでも、遅くはなかったように感じられる。