『阪神残留』の大山悠輔…「4番」はこのままでいいのか?彼が「6番」を打つような打線をつくることができれば、藤川阪神にも「アレ」が見えてくる
◇コラム「田所龍一の『虎カルテ』」 2週連続で阪神・大山悠輔内野手(29)のことを書く。巨人移籍か―と思われていたが、11月29日に「阪神残留」を発表したからだ。虎の球団旗を背にした大山、きっと悩み続けていたのだろう、ちょっぴり清々しい表情で心境を語った。 ◆これが阪神園芸の神整備【写真】 「ほんとに甲子園の大歓声の中でやれるのは《当たり前》じゃないんだなと、この期間に思いました。日本一になったときの地鳴りのような歓声をもう一度味わいたい。そしてファン感謝デーでたくさんのファンの方が振ってくれていたボクの名前の入った赤いタオルを見てうれしかった。今度はプレーで感謝の気持ちを返します」 巨人に傾いていた大山の心を引き戻す。虎ファンの熱い声援はとてつもない力を発揮するものだ―と改めて思う。だが、少し冷静になってみてみよう。あるOBはこう指摘した。 「大山が残って喜んでいいのはファンだけ。球団はしっかりと現実を見ることだ。マイナスになる戦力がゼロに戻っただけで来季へのプラス補強は何も進んでいない。これからだ。(大山の)5年17億円(推定)の契約は球団にとって大きな負担になる。考えてもみなさい。大山の成績は2年連続で下がっている。今シーズンは打撃不振でファーム落ちまでしている。本来なら大幅ダウンだろう」 年度 打率 本塁打 打点 2022 ・267 23 87 2023 ・288 19 78 2024 ・259 14 68 確かに、この成績は「4番打者」として胸を張れるものではない。巨人・岡本和真(28)やヤクルト・村上宗隆(24)の今年の成績と比べてみても…。 岡本=打率・280 27本塁打 83打点 村上=打率・244 33本塁打 86打点 OBは続けた。 「そもそもなぜ、大山が4番なのか? それは、ほかに打てる選手がいなかったからだろう」 それは筆者も「?」に思った。岡田監督が大山を「4番」にした理由は《一塁まで全力疾走する》《選手間で人望があり、大山の周りに人が集まる》というもの。真面目で、無口で、黙々と練習する。若い選手たちを背中で引っ張っていくタイプ。だが、それは「4番」の条件ではない。やはり打てなきゃダメなのだ。 「来年以降、大山が30本以上ホームランを打てる打者になるか? それはもう無理。かといってもう昔のように30本以上打てる外国人選手は日本に来ない。球団は新たらしい4番を育てるか、他球団から奪ってくる(FA)しかないと思う」とOBは締めくくった。 大山の今季の成績を眺めていると、初めて「日本一」に輝いた1985年の虎軍団のある選手を思い出した。佐野仙好(現在73歳)である。前橋工―中央大から73年のドラフトで1位入団。バース、掛布、岡田と並んだ《恐怖のクリーンアップ》の後の6番打者。その年の成績が打率・288、13本塁打、60打点。大山とよくにた成績。ここ一番での勝負強さがあった。 85年10月16日のヤクルト戦(神宮球場)、阪神が21年ぶりのリーグ優勝を決めた試合。9回1死3塁から5-5の同点に追いつく中犠飛を放ったのが佐野。そうそう、子供のころから阪神ファンだった松井秀喜氏(巨人―ヤンキース)が一番好きだった選手が佐野なのだ。こんな逸話がある。 ドラフト前、松井の実家に阪神のスカウトがあいさつにやって来た。その日の松井は朝からソワソワ。集まった報道陣に「あの佐野さんがボクんちに来るんですよ。あの佐野さんですよ。もっと驚いてくださいよ。佐野さんに会えるなんて…」と松井は大興奮。現役を引退佐野は当時、スカウトをしていたのだ。 松井のいう「あの」とは、77年4月29日の大洋戦(川崎)。9回、左翼後方への大飛球を追った佐野は、コンクリートむき出しのフェンスに頭から激突。頭蓋骨陥没骨折の大けがを負った。当時、松井は3歳。だが、阪神ファンの父・昌雄さんから「佐野という選手はそんな大けがを負っても、復活してすばらしい選手になった」という話を何度も何度も聞かされファンになったという。 大山もそんな勝負強い選手になれば―と思う。大山が「4番」ではなく「6番」を打つような打線をつくることができれば、藤川阪神にも「アレ」が見えてくるかもしれない。 ▼田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956(昭和31)年3月6日生まれ、大阪府池田市出身の68歳。大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒。79年にサンケイスポーツ入社。同年12月から虎番記者に。85年の「日本一」など10年にわたって担当。その後、産経新聞社運動部長、京都、中部総局長など歴任。産経新聞夕刊で『虎番疾風録』『勇者の物語』『小林繁伝』を執筆。
中日スポーツ