主役は道長なのに話は宇多の帝から?倫子・明子の結婚の時系列が意図的に変えられている?赤染衛門が『栄花物語』に潜ませた<企み>を解明する
◆不審な点 藤原道長の前半生の大事件として、源倫子との結婚が書かれています。 それによると、倫子の父の源雅信は、倫子を后がね(お妃候補)として育てていたので、摂政兼家の子でも三男(全体としては五男)の道長との結婚には反対していました。しかし妻の藤原穆子が道長の性格を見込んで夫を説得し、ついに婿に取ったというのです。 この話にはいくつか不審な点があります。 まず、『栄花物語』はこの時の道長が「三位中将殿」で、雅信はその地位をまだまだ低いと思っており、左京大夫(首都の行政長官、いわば都知事)に昇進してようやく納得した…としています。 しかし実際には、この年、永延元年(987)には22歳で従四位下から非参議の従三位、つまり国政会議には参加できないが上級貴族身分に昇進しており、左京大夫になったのはその前のこと。同じ年には、異母兄の道綱が同じく非参議の従三位右近衛中将になっていますが、彼は33歳。比較すると、道長のスピード出世がわかるでしょう。 そして翌年には参議を飛び越して権中納言に昇進します。 兄の道隆(定子皇后の父)がこの地位に上ったのは34歳でした。この違いは、父の兼家が一条天皇の摂政として権勢のトップに上ったことによるものです。つまり道長の昇進はまさに兼家一家の栄華の象徴で、雅信には断る理由などどこにもなかったはずなのです。 では、なぜ『栄花物語』はこのような書きぶりをしているのか? 藤原穆子の慧眼を讃えるためだという説もありますが、穆子は道長より先に亡くなっているので、穆子本人に読まれることを意識したとも考えにくい。
◆さらなる『栄花物語』のナゾ さらに興味深いのは、倫子との結婚後の話。倫子が彰子を産んだ後に、もう一人の妻、源明子と道長の結婚の話題を書いているということです。 明子との結婚は史実では倫子と同年(諸説あり)なので、わざと繰り下げているのです。 これは倫子との困難を乗り越えての結婚、道長の昇進、彰子の誕生などを一続きのドラマとして書きたかった一方で、明子の側の女性たちが読むことをあまり想定していなかったことを示しているように思われます。 つまり『栄花物語』で意識されているのは、<穆子―倫子―彰子>の三代、ということが言えるのではないでしょうか。 では倫子はこの後、どのように書かれていくのか? 彼女については、頼通、妍子を産んだことがさらりと書かれていますが、注目したいのは長保二年(1000)に倫子の同母妹・藤原道綱の正妻だった「中の君」の死去の話です。 中の君は男兄弟たちと関係が疎く、彼女を庇護したのは倫子で、道綱夫妻はそのおかげで繁栄していたとしています。つまり倫子は源雅信家の女性家長のような役割を果たしていた、と言いたいようです。 そして倫子は彰子の出産の時に、へその緒を切るという大役を果たしていますが、『栄花物語』には、「これは罪得る事(血や死のケガレを一身に受ける可能性があるから)」なのに引き受けたという『紫式部日記』にはない記述があります。 もう一つ面白いのは『栄花物語』が「望月の歌」の場面、つまり威子の中宮立后の喜びを、意外にあっさり書いていることです。もちろん「とても珍しく、殿の幸いごとだ」とはしているのですが、「望月の歌」もありません。 一方、威子が後一条天皇に入内した時に、倫子が新婚の二人の「衾覆(ふすまおおい、衾〈要するに掛け布団〉を進上する役)」を務めたと書いており、それを「げにめでたき御あへもの(本当にめでたいあやかりもの)」としているのです。
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