「ヴェイロン」が生まれたのは新幹線の車中だった! ブガッティはいかにして「ハイパーカー」の王者となったのか【ブガッティ・ヒストリー_04】
「ハイパーカー」の象徴的存在へと成長
その後のブガッティの活躍は、AMW読者諸賢もご存知のとおりである。21世紀初頭における「ハイパーカー」の概念を牽引するブランドとして君臨し、複数の派出モデルを含むヴェイロンは、2015年までに300台を生産。翌2016年には後継車「シロン」が登場する。シロンではヴェイロン時代以上に数多くの派出リミテッドエディションが設定されたほか、「ディーヴォ」や「チェントディエチ」といった、まったく別のボディを持つ兄弟モデルもごく少量が生産されるなど、2010年代後半以降のブガッティは、まさしく百花繚乱の様相を呈している。 そして2021年7月5日、ブガッティは新たな局面を迎えることになった。EVハイパーカーの分野で世界をリードする東欧クロアチアの新興企業「リマック」とともに、新合弁会社が設立されることが正式に公表されたのだ。 ポルシェの仲立ちもあって新生ブガッティ・リマック社CEOとなったのは、リマック創業者のマテ・リマック氏。グローバル本社は、クロアチアの首都ザグレブ近郊に建設された、同社の研究・開発機関を併設するファクトリー「リマック・キャンパス(Rimac Kampus)」に置かれるとのことである。 いっぽう、これまでのブガッティ・オトモビルS.A.S.は、仏モールスハイムの「メゾン」に今後とも残り、超ド級ハイパーカーに求められる職人技による製作・コーチワーク技術、カーボンファイバーなどの軽量マテリアル、そしてユニークで経験豊富なネットワークなど、すべてのノウハウを新生ブガッティ・リマックにもたらしてゆくという。 ひと頃は絶対的な既定路線となっていた自動車の電動化への道筋が、ここしばらくは再び混沌の様相を見せ始めている現在。エットレ時代の直列4気筒と直列8気筒、アルティオーリ時代のV12クアッドターボ、そしてピエヒ時代のW16クアッドターボ。それぞれの時代のブガッティを印象づけてきたガソリンエンジンの息吹と本当に決別するのか否かは、じつに興味深いところである。 前世紀末、ブガッティとその夢に人生を賭けようと決意しながらも、志なかばで挫折。それでも、今なおブガッティというブランドには格別の敬愛の想いを持つものとして、この先の行く末を見届けたいと願っているのである。
武田公実
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