ペリー来航の際、昼食で90品を超えるフルコースに登場した果物は…日本人にもっとも親しみのある果物の歴史を辿る
◆温州みかんは品種ではない 和歌山県に温州みかんが導入されたのは、明治初期。逆にいうと、それまでは温州みかんが生産されることはなかった。 果実に種子が入らない種なしの性質が、縁起が悪いと忌み嫌われたためである。子孫繁栄、子宝を授かりたいと願う気持ちは、当時それほどまでに強かった。 文明開化の世となり合理的な考えが広まるにつれて、温州みかんよりも小さいうえに種が多く入り酸味も強かった紀州みかんから、温州みかんへの切り替えが一気に進んだ。 生産量は明治時代後半には逆転し、大正年間には温州みかんの生産量が大多数を占めるまでになった。 一方で、小みかんは鹿児島県の特産品として一部で栽培される程度にまで減ってしまっている。 日本一のミカンの生産地は、江戸時代から昭和初期までは和歌山県、その後1969年(昭和44年)までは静岡県、1970年には愛媛県に代わり、2004年(平成16年)には再び和歌山県がその座を奪い返していまに至る。さすがは和歌山県。 ※本稿は、『日本の果物はすごい-戦国から現代、世を動かした魅惑の味わい』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
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