“日本一売れる駅弁”を作る駅弁業者が語る、「ものづくりで大切なこと」
【ライター望月の駅弁膝栗毛】 「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。 【写真全10枚】昔の駅弁立ち売り風景(イメージ、横浜工場見学コース)
2024年で誕生70周年を迎える、横浜駅弁「シウマイ弁当」。1日およそ2万7000食が作られている、人呼んで“日本一売れる駅弁”です。しかも、この弁当はナショナルブランドを目指さずに、“真に優れたローカルブランド”を目指すことを経営理念としている会社が、製造しているところも大いに注目すべき点です。いったい、どんな思いで駅弁・弁当作りに臨んでいるのでしょうか?
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第50弾・崎陽軒編(第6回/全6回)
横浜を発車した特急「踊り子」号が、東海道本線を下っていきます。横浜駅から10分と経たないうちに、緑のある風景が広がるのも横浜の魅力。東京への通勤・通学に便利で、港町の開放感もあり、都会のいいところとローカルのいいところが組み合わさっています。長年、不動産メディアの首都圏の住みたい街ランキングでもトップを走っているのも納得。とくに地方出身者にとっては、世代を超えて、まぶしく見える街ではないでしょうか。
駅弁業界でも長年、けん引役を務めていると言っても過言ではないのが、横浜が拠点の株式会社崎陽軒。2000人あまりの社員がおり、新人研修では現場を理解しておくため、製造ラインで弁当を詰める作業を行っているそう。令和4(2022)年に就任した4代目の野並晃社長も新人時代、研修では1カ月間、ひたすらご飯を炊き続けたといいます。そんな野並社長のインタビューも今回が完結編。駅弁作りで大切なことを伺いました。
●ものづくりとは、常に「お客様が何を求めているか」を考え続けること
―野並社長にとって、「駅弁作り」で一番大切なことは何でしょうか? 野並:常に「お客様が何を求めているのか」ということを考え続けることだろうと思います。それが現時点で崎陽軒として販売しているものになっていると思いますし、常にお客様との対話を続けて、何をお求めになっているのか、常にこの状態でいいのかと確認していくことが、物を作って販売させていただく者として、大切なことなのかなと思っています。 ―ご自身がトップになってから間もなく2年、変えたところはありますか? 野並:企業というものは、社会環境が変わるから変わるものだと考えています。(自分が)社長になったから「変える」というのは、おかしな話です。例えば、コロナ禍で世の中が変わったことに対し、会社の仕組みを変えていくわけであって、これから先も、それをどう上手くやり続けられるかという話だろうと思います。そもそもお客様にとって、崎陽軒の社長が(先代の)野並直文であろうと野並晃であろうと、大したことではないのかなと(笑)。