遠藤周作『沈黙』の舞台、そして潜伏キリシタンの足跡を訪ねて 天草・崎津漁港に立つ「海の天主堂」&日本の「教会建築の父」鉄川与助物語【前編】
漁村特有の潜伏キリシタンたちの信心具
バス停からすぐの﨑津教会に向かう前に、「﨑津資料館みなと屋」に立ち寄る。1936年に建てられた旅館「みなと屋」を改修して2016年にオープンした施設で、﨑津集落の歴史と文化、禁教期のキリスト教信仰を簡潔に学べる。 﨑津は、穏やかな内海と温暖な気候から古来、天然の良港として知られ、戦国時代、布教のために来日したポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスが著した『日本史』にも登場する。同書によれば、同じくポルトガル人のルイス・デ・アルメイダ修道士が1569年にこの地で布教を開始し、インドから来る船を迎えたという。 1637年、幕府の弾圧や藩主の圧政に反抗してキリスト教徒らが島原の原城に立てこもり、一揆を起こした際、それに呼応して天草諸島の信徒たちも武装蜂起した(島原・天草一揆)。その結果、3万7000人ものキリシタンが殉教する悲劇を生むのだが、その際、﨑津など天草下島(しもしま)南部の集落は一揆には加わらなかった。一説には、距離が遠すぎたため情報が届かなかったともいわれる。 このため、天草が幕府の直轄地(天領)となった禁教下でも、﨑津集落では数多くの信者が表向き仏教徒や神社の氏子を装いながら、ひそかに洗礼やオラショ(キリシタンの祈祷)を伝承した。 﨑津資料館みなと屋には、彼らが用いた漁村特有の信心具(しんじんぐ)が展示されている。代表的なのが、「水方(みずかた)」と呼ばれる信者組織の指導者の家に伝わったアワビの貝殻だ。 一見何の変哲もない貝殻だが、「内側の模様を聖母マリアに見立てた」という。私の目にはマリア様の姿は浮かんでこなかったが、隣で観察していた女性は「ああ、見えます」とうなずいている。見える人には見える、ということか。白蝶貝(しろちょうがい)を加工したメダイ(メダル)も、漁業と信仰とが密接に結び付いていたことを物語る。 興味深いのは、「ウマンテラさま」と呼ばれる「翼のある石像」だ。これは1983年に﨑津集落の北隣の今富集落内で発見されたもので、高さ45センチほどの石に浮き彫りされている。石像は、総髪で目鼻立ちがはっきりしており、背中に翼があり、手に長い剣のような物を持ち、悪魔らしき物体を踏みつけている。 地蔵尊のような外見ではあるが、ルネサンス期以降のローマなどでよく見られる絵画「大天使ミカエル」に特徴が似ている。このため、潜伏キリシタンが「大天使ミカエル」の図画をもとに制作した可能性が高いとされる。