「全身血だらけ、必死に逃げた」 原爆孤児だった母の心の傷、語り継ぐ息子 #戦争の記憶
■決意伝えた息子 心動かされた母の言葉
そんな折、「家族伝承者」も新設されると知り心が揺さぶられた。「母に何があったのか知りたい…」。一方で、「自分に受け止めきれるだろうか」という不安もあった。長い間、口を堅く閉ざしていた母を前に意を決して問いかけた。「お母さんの家族6人が生きた証を一緒に残そう。自分には被爆2世として原爆のむごさを伝えていく役割があると思う。話を聞かせてくれないか」 息子の思いが届いたのか、それから久子さんは少しずつ語り始めた。賢くて自慢だった兄のこと、誰の遺骨も見つけられなかった後悔、孤児として生きてきた悲しみ…。 敏文さんは広島と京都を行き来しながら、丹念に聞き取りを重ねた。家族なのに知らなかったことばかり。母は語ろうとすると涙を流し、言葉に詰まる。心の傷にさらなる痛手を負わせていないか―。苦悩しながらも、言葉を選びながら証言する久子さんの姿に背を押された。 「6人を忘れないでいてくれてありがとう」。広島の実家で聞き取りの最中、久子さんがつぶやいたその一言に、息子として母が長年抱えてきた苦しみや喪失を他者に伝える決意が固まった。家族伝承者として活動する場で、敏文さんは参加者に語りかける。「被爆者が経験した過酷な状況や思いをすべて理解することは困難でしょう。でも、私たちなりに受け止めることはできる」 広島市が2022年度から養成を始めた「家族伝承者」は現在38人が活動し、広島県外での講話も始まっている。本年度の研修には23人が参加。被爆体験を継承する担い手の裾野は広がっている。
■元NHKアナも新たな道へ
自らの声で全国にニュースを届けてきたNHKの元アナウンサーも、新たな一歩を踏み出した。 「熱線を受けた首や肩の皮膚はずるりとむけたそうです」。47人の聴講者に語りかけるのは、杉浦圭子さん(65)=広島市安佐南区。約1年間の研修を終え、昨年12月に父清水良治さん(92)の家族伝承者になった。 清水さんは県立広島商業学校(現県立広島商業高)の1年生のとき、爆心地から約2キロの校庭で建物疎開作業に出る準備中に被爆。大やけどを負った。杉浦さんは約50分間、自力で自宅まで歩いて戻る道中に父親が目にした惨状や心情を代弁し、語っている。