初潮を迎えた日から、父は何度もレイプし、母は傍観した…実父の性加害を顔出し実名で告発し続ける理由
■近所の住民は報復を恐れて知らんぷり このような地獄はたえさんが16歳になるまで続いた。 家の近所でも、たえさんと彼女の弟が父親から虐待に遭っているのは評判になっていたはずだ。 なぜなら、きょうだいが裸にされて、父に外に引きずられていく姿が度々見られていたからだ。しかし「カンジ(父の名)は、怖い」と、みな遠巻きに見ていただけ。 昭和期は、近所で児童虐待があったとしても児童相談所に通報するのは、まだまだハードルが高かった時代。何より、“短気なカンジ”の報復を恐れていたのだろう。 たえさんもただ黙っていただけではない。少し成長すると警察に駆け込み、父親から虐待やレイプ被害に遭っていることを訴えたこともあった。 「でも、父が『これは性教育の一環だ』と言い張ったので、それ以上当時の警察は踏み込んできませんでした。また、『お父さんを逮捕することができても、3年ほどで出てくるけど仕返しとか大丈夫?』と言われたこともありました。そう言われると、私にはそれ以上なす術がありませんでした」 ■『人間失格』を読んだ後に、子どもたちを犯した父 こんな恐ろしいことをしながらも、彼には知能的、精神的に異常性があると診断されたことはなかったらしい。もっとも、たえさん曰く「非常に口の上手い男で、外見も彫りの深い顔立ち。ちょっとインテリな部分もあったから、一見異常だとは思われなかったのかも」。 なぜか太宰治の『人間失格』が愛読書で、よく読んでいたそうだ。「あんた自身が人間失格でしょ?って感じなのに……」とたえさんは失笑する。 人間失格の世界に耽溺した後に、子どもたちを裸にして並べて、彼らが気を失うまで暴力をふるい、そして犯し続けた。父は息子にも口淫・肛門性交を行い、性欲の捌け口にして歪んだ支配欲を発揮したのだ。 筆者が「彼がやったことは悪魔の仕業ですね」と問うと、 「父は悪魔ではありません。鬼畜です。最初から自分の欲望を満たすために、子どもをもうけたとしか思えない。私はあの男の死を願う一方で、社会的な制裁を受けるまでは死んでほしくないという、相反する気持ちを抱いて毎日を過ごしています」 と、至極冷静に語る。彼女はどれだけ酷い体験を語る瞬間であっても、決して感情的にならない。そうしないと彼女の心が壊れてしまうからかもしれない。