【マンガでわかる知識創造】なぜ、業務を「見える化」してKPIで測ると、人は違和感を覚えるのか?
マイケル・ポランニーは「すべての知識は暗黙知か、暗黙知に根差す」「われわれは語れることよりも多くのことを知っている」といった言葉を残しています。 「そんなの当たり前じゃない?」と思われる方もいると思います。ですが、それまで経営の研究や現場では、経営を科学的に行うために、目に見えない暗黙知や、個人の主観を排除しようとしてきたのです。 たとえば、みなさんは何らかの業務の「見える化」に取り組んだり、目標の達成度を数値で評価されたりしたことはありませんか? そういったときに、何か違和感を覚えた経験はありませんか? 企業や行政などでは、目に見えないものごと、つまり暗黙的なものごとは、そのままでは計測したり評価したりできないので、これを言語や数値などに変換することによって見える化し、客観的に測定したり、比較や評価したりすることがよく行われます。KPI(Key Performance Indicator:重要業績評価指標、目標に対する達成度を評価するための定量的な指標)はその一例です。 ですが、暗黙知は、そっくりそのまま形式知に変換することはできないので、見える化されたことやKPIで測られることには、形式知にできなかった暗黙知は含まれていません。もし、見える化やKPIで何か違和感を覚えたなら、含まれなかった暗黙知がじつは重要だったという可能性があります。ですが、目に見えないことや個人の主観はなかったことにされて、違和感は無視されてきました。 AI時代が到来したといわれる現在、人間の五感にもとづく暗黙知が重視され始めています。プロローグの解説でも述べたように、人間は身体をもち、五感を使って意識的に経験から学ぶことができるからこそ、新しい暗黙知を獲得して、新しい知識を創ることができるからです。 また、人間の可能性も注目されています。人間のもつ暗黙知は、無意識の領域を含むので、私たち自身も自分たちがどれだけの暗黙知をもっているかを知ることができません。これは見方を変えれば、私たちは無限の可能性をもっていると見ることもできます。つまり、暗黙知という無限の可能性を、たえず形式知に変換していくことで、ほぼ無尽蔵に新たな知識を生み出し続けていくことができるのです。
西原(廣瀬)文乃