「東海道本線の行き止まり」に行ってみた 乗車時間6分のにぎわう支線 100年変わらない“役割”も
東京駅開業の5年後に開通
鉄道の主要幹線には往々にして支線があります。日本最大の幹線といえるJR東海道本線にも、貨物線のほかに勾配の小さなバイパスとしての新垂井線(大垣~関ケ原)や、横須賀線・湘南新宿ライン・相模鉄道直通列車などが走る品川~鶴見間の通称「品鶴線」も、正式には東海道本線です。 そうした中、東海道本線には行き止まりの“枝線”となる支線も存在します。大垣~美濃赤坂間の5.0kmを結ぶ通称「美濃赤坂線」です。 【路線図】どこを走る? 美濃赤坂線と貨物線 開通したのは1919(大正8)年のことで、100年以上の歴史があります。当時の東海道本線は、その5年前に東京駅が開業したばかり。滋賀と京都のあいだは現在と別ルートを走っていたような時代でした。 この美濃赤坂線の起点・大垣駅のある岐阜県大垣市は水都と呼ばれるほど、地下水による湧水が随所で見られます。美濃赤坂線の開業当時は水運も発達し、鉄道と水運を組み合わせて地域が発展している最中でした。 1919年、大垣駅の南北に路線を延ばしていた養老鉄道の揖斐~大垣~桑名間が全通。その同じ年に美濃赤坂線も開通しています。東西を東海道本線、南北を養老鉄道が走る交通の要衝へ、さらに美濃赤坂線が追加されました。建設された理由は、美濃赤坂駅から近い金生山から産出される石灰石を輸送するためでした。 石灰石輸送の需要は多く、1928(昭和3)年には、美濃赤坂駅から2.6km北にある市橋駅まで西濃鉄道市橋線と、1.9km離れた昼飯(ひるい)駅までの昼飯線が、石灰石輸送のために開業します。
建設当時のままのコンセプト
現在では貨物輸送だけの西濃鉄道ですが、市橋線は1930(昭和5)年より、美濃赤坂線に乗り入れる形で大垣~市橋間の旅客輸送も担いました。使われたのは鉄道省初のガソリンカーであるキハニ5000形です。他社との乗り入れは、国有鉄道初めての事例でした。この際、唯一の中間駅である荒尾駅が開業します。 西濃鉄道の旅客輸送は1945(昭和20)年までに廃止されますが、現在でもJR貨物の貨物列車が1日2往復(土日1往復)、西濃鉄道の乙女坂駅より美濃赤坂線を経由して、名古屋臨海鉄道の名古屋南貨物駅まで運行されています。主な積載物は石灰石ですから、開業時のコンセプトが現在も生きているといえます。 美濃赤坂線は1958(昭和33)年に電化され、1968(昭和43)年から1年間のみ、東京~大垣間で運行された普通夜行列車(大垣夜行)が、美濃赤坂駅を終着駅にしていたこともありました。 2024年現在の美濃赤坂線は、313系電車3000番台(2両編成)が線内を往復するのみです。同車はボックスシートを備えたセミクロスシート車で、東海道本線の増結用としても使われるのでトイレ付き。支線の電車としては立派な装備です。 9月、始発列車である大垣駅6時29分発の美濃赤坂行きを利用すると、早朝なのに筆者(安藤昌季:乗りものライター)を含めて9人が乗車していました。意外と盛況です。