“知能が高い”から「タコ」を保護するのは差別的か? 欧米で進む「動物福祉」の背景にある思想
「種差別」との批判を回避するためには「理由」が必要
上記の、福祉と欲求に関わる問題のほかにも、動物の知能や知性が重視される背景には「そもそもなぜ人間は他の動物を利用していいのか」「なぜ人間だけが人権で保護されるのか」などの根源的な問いが存在するという。 「動物の権利運動では、『生物種が違う』というだけの理由で人間と動物を別扱いすることを『種差別』と呼び、人権と同様な『動物の権利』を認めるよう求めて来ました。 ここで、動物の権利運動に反論するため『種差別は別にかまわない』と主張するなら、動物の権利運動の側からは『では人間と動物の間のどんな違いが、種差別を正当化するのか』と聞き返されることになります。 このとき、答え方に注意しなければ、人種差別や女性差別、障害者差別などを容認するような理屈を持ち出すことになってしまうのです。たとえば「善悪が理解できない動物は道徳的に配慮する必要がない」と答えると、「じゃあ認知症などのために善悪が理解できなくなった人も配慮する必要がないのか」と反論されてしまいます。 論争の結果、ほとんどの哲学者は『種差別を正当化しようとする議論はうまくいかない』という結論に合意しています」(伊勢田教授) 人間にだけ人権があって他の動物に同様の権利がない理由を説明しようとして多くの人が持ち出すのは、「人間は何らかの心的能力において他の動物より優れているからだ」という答えだ。 「何らかの心的能力」という根拠によって動物の利用を正当化しようとする場合、特定の生物種(タコやイルカなど)が同様の心的能力を持つことが示されたなら、論理的には、それらの生物種も権利を持つと見なさなければならない。 「こう考えるなら、タコの養殖を禁止するのは、むしろ全体としての畜産業の正当化の論理とつながっているという見方もできます。人間やタコがある心的能力を持ち、家畜がそれを持たないことが示されるなら、家畜を飼育しつづける正当化にその心的能力が利用できるためです」(伊勢田教授)