「30歳の壁」を意識する人。周囲にいますか?――文筆家・川島如恵留(Travis Japan)
「年は取るのもではなく重ねるものだ。」と誰かが云う。 時間は常に一定で流れて行く。有識者の「相対性理論が◯×△※~~~」には申し訳無いが退席願って、時の流れはほぼ全ての人に同様に流れるとする。 生命維持さえしていれば、どんな人でも一定の時間で30歳を迎える為、意識せずに時の流れに身を任せていれば年を取ったと感じるのは至極当然の事かもしれない。 しかしカッコいい「30歳」になる為には、過ぎゆく時間をただ眺めるだけで無く、有効活用する必要があるのだ。能動的に、意味のある時を重ねる、という事だ。 想像してみて欲しい。学校にあったあの学習机を。天板の下に物を入れるスペースのあるあのクラシカルな机を。きっと同じ世代だから伝わると信じたい。 整理整頓を未だ知らないとある小学生は、先生から配られたプリントを机の抽斗にただ放り込み、クシャクシャにし、夏休みが始まる迄にはパンパンにし、他のものを入れるスペースはすぐに無くなってしまう。 プリントを受け取っただけで満足して、その後の事まで考えが及ばなかったのだ。これでは一学期の終業式に痛い目をみる。もう見返す事も出来ない程にクシャクシャなプリントでランドセルをこれでもかという位膨らませ、余裕なんて何処にも無い帰り道になる事が、大人ならきっと理解できるだろう。 これは貰った物、手に入れた物を、ただ受動的に抽斗に仕舞っていく人の一例だ。 きっとカッコいい人や出来る人は、先生から受け取る度にそれらを整えて、必要か不必要かを選定し、入れる場所を指定し、空いたスペースに他のものを入れる事が出来る、そんなスッキリとした抽斗になっているのだと思う。 折れ曲がったプリントが一枚も無い程完璧な人は稀だと思うが、それでも終業式の帰り道には公園で友達と遊んで帰れる程の余裕はありそうだ。 喩えそれが全員に平等に配られた物だとしても、手に入れたものを能動的に仕分け、何が大切かを見極める力を持っている方が余裕を持って人生を楽しめると思うのだ。 時間やお給料といったものも、ただそこに有れば良いという訳ではない。どの様に使うのか、有効活用するのかが、スマートな人生を送るのに一役買うのだ。 30歳のカッコいい大人に夢を見ていた自分と、同じ様な未来図を描いていた仲間にもし貴方がいたのであれば、こう伝えたい。 一つずつ、能動的に「重ねて」いきましょう、と。 でも忘れないで欲しい。それには少しのコツと時間が要る事に。 休み時間が始まる度、友達はすぐ遊びに行ったり談笑する中、自分にはほんの一時の整理する時間が必要になる。甘い誘惑が周りに沢山ある中、少しだけ自分の抽斗と向き合う時間が要る。 日々のほんの少しの時間かもしれないが、楽しい事を取り零すかもしれない。そこをグッと堪えらる努力が必要だ。 効率よく生きるのはそう簡単な事では無い。 誰かに羨望の眼差しを向けている時間が有れば、未来の自分に焦点を当ててあげよう。 積み重ねてきた未来の自分はきっとカッコいい筈だから。 …ベッドで寝転びながらこんなエッセイを書いている私に言われたく無いかもしれないが。