最近、“ポリコレ”に配慮しすぎ?「政治的な正しさ」を考える──連載:松岡宗嗣の時事コラム
ポリコレかどうかで回収しない
社会の不均衡に目を向け、マイノリティの存在を前提にした言葉や表現を取り入れようとする際、なぜ反発が起きるのか。根本的には、人権に対する認識の問題もあるのではないかと思う。 「マイノリティ」という言葉に続いて浮かんでくる言葉は何だろう。おそらく「配慮」や「思いやり」「理解」「寄り添い」「傷つけない」といったものではないかと思う。こうした言葉は耳障りは良いが、「相手を自分と同等の人間ではなく、一段下の人間として捉えていないだろうか」とも思う。マイノリティは理解してあげる、配慮してあげる、思いやってあげるものではなく、同じ社会に生きる人間であり、同じ権利を持っている。 その権利が保障されず差別や偏見が残っていないからこそ、傷つけるか傷つけないかという視点ではなく、構造的な社会の不均衡を捉え、是正していくことが求められている。その社会の調整作業こそがポリティカル・コレクトネスという視点において重要ではないかと思う。 あいまいなまま用いられている「ポリティカル・コレクトネス」という言葉だが、何をもって政治的に「正しい」のかは文脈によっても異なる。画一的で完璧な答えはなく、むしろ常に正しさを疑いながら、考え、言葉や表現を絶えず調整していくことが必要ではないだろうか。 だからこそ、冒頭の『SHOGUN 将軍』の事例に立ち返ると、これはポリコレなのか/ポリコレではないのか、という議論に回収させるのではなく、一つのケースとして何が正しいのか、望ましいのかを、構造的な社会の不均衡を捉えつつ検討していくことが必要ではないかと思う。
松岡宗嗣(まつおか そうし) ライター、一般社団法人fair代表理事 1994年、愛知県生まれ。政策や法制度を中心とした性的マイノリティに関する情報を発信する「一般社団法人fair」代表理事。ゲイであることをオープンにしながらライターとして活動。教育機関や企業、自治体等で多様な性のあり方に関する研修・講演なども行っている。単著『あいつゲイだって アウティングはなぜ問題なのか?』(柏書房)、共著『LGBTとハラスメント』(集英社新書)など。 文・松岡宗嗣 編集・神谷 晃(GQ)