最近、“ポリコレ”に配慮しすぎ?「政治的な正しさ」を考える──連載:松岡宗嗣の時事コラム
エンタメ性と社会性のバランス
「物語性よりも多様性の尊重という意図が前面に出過ぎていて違和感」という意見や「マイノリティの人にとっても、自分たちの物語だと思える作品が増えるのは良いと思う。でも、ビジネスなんだから売れなければ意味がなく、結局はマジョリティにウケの良い作品をつくらないといけないのでは」という声もある。 「意図が前面に出過ぎていて面白くない」というのは、確かに描き方としての面白さに良し悪しはあるだろう。これは評論の範囲だと思うが、一方で「ポリティカル・コレクトネス」の問題に限らずどんなテーマや意図の作品にも言えることでもある。もし「面白くない」とする背景に、マイノリティの存在自体をノイズと捉えてしまっている面があれば、そこには前述のような社会構造の不均衡について認識の欠如や偏見もあるのではと思う。 「ビジネスなんだから売れなければ意味がない」という点も一理あるが、一方で、売れれば何でも良いわけではなく、そこで差別や偏見、ステレオタイプが助長されることは問題視される。 以前、トランスジェンダーを描いた作品の映画監督が「これは娯楽映画であって、社会問題は誰も観ない。インテリ気取りが唸り議論するだけ」とSNSで投稿したことがあったが、エンタメ産業が社会から無関係であるとは言えない。エンタメ性と社会性は二項対立ではなく両立する。もちろん難しい点も多々あるとは思うが、実際に両立している作品は世の中にたくさんある。 「ポリコレによってつまらなくなった」「ポリコレ疲れ」という揶揄も耳にするが、NHK虎に翼のジェンダー・セクシュアリティ考証を担当した福島大学の前川直哉さんの言葉を紹介したい。 「『ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス、政治的正しさ)を入れると、エンタメはつまらなくなる』と言う人がいますが、私はそうは思いません。外部から理論面をサポートすることで、よりリアルで、より色んな人に届く表現になり、作品の完成度は高まります。意図せず当事者を傷つける表現も避けられます」。