「授業やテスト中は水筒を利用しないことをマナーとする」との文書が配布、埼玉県の市立中学校に批判が殺到。生徒を束縛するブラック校則に募るモヤモヤの正体とは?
そして、ネットメディア編集者としては、SNSの普及にも触れなくてはならない。スマートフォンの普及によって、児童や生徒みずからが「学校の外」を知りやすくなった。その結果、ギャップの可視化が進み、自分の置かれた環境に、強い違和感を覚える子どももいることだろう。より広い視野を持っているはずの保護者も、SNSを通して、自身が「井の中の蛙」だと気づくケースはあるだろう。 ■わずか20年の間にも、状況は変化している
ここまで見てきたように、旧態依然とした内容の校則は、日に日に批判にさらされている。この状況を打破するためには、子どもたちと保護者、そして教職員が一丸となって、価値観のアップデートを試みるしかない。 筆者は教育の専門家ではなく、教員免許すら持っていないが、「校則」については強烈な原体験がある。校則に抑圧されていたワケではなく、むしろ中学も高校も公立ながら制服すらない学校に通っていた。 私の通っていた都立高校では、「自主自律」を重んじる校風ゆえ、学校側が決めた校則ではなく、みずからが決めた自主規則に沿って生活する形式がとられていた。生徒ではなく「学友」と呼び、受験生を対象に、学友会が主催する学校説明会を行う。そんな母校で筆者は、1つ上の先輩らとともに「学友会則」の全面改定に携わった。
毎週のように会議を開き、条文の1つひとつを眺めていく。「現代にあった読みやすい表現にしよう」との思いから、「於いて」を「おいて」に、「即ち」を「すなわち」に……など、細かい表記までチェックを重ねた。また同時並行で、学友会の役割についても見直し、業務分担を整理したうえで、各委員会を統廃合する作業も行った。いずれも各委員長との議論を繰り返し、全学友を対象にしたアンケートも踏まえて進めた。 この高校時代の経験は、アラフォーになった筆者にとって、「青春期の成功体験」になっている。とはいえ、いま思うと、16歳やそこらの若造にできることは限られている。顧問は一連の流れを見守ってくれていたが、おそらく同僚の教諭からは、「好き勝手にやらせすぎだ」と反対意見も出ていただろう。理解ある教員が防波堤になってくれたからこそ、のびのびと「自主自律」を満喫できた。
あれから20年がたった今、さらに状況は変化していることだろう。当時はスマートフォンもなく、携帯メールと自宅パソコンを駆使する時代だった。SNSでいえばツイッター(現在のX)の誕生直前で、国内にはmixiがあるものの、年齢制限で高校生の多くは禁止されていた。そこからの変化を見ると、わずか20年前の価値観でも、さらなるアップデートが必要に思える。新しい学校のルールは、そのうちじゃなくて、いますぐ必要なのだ。
城戸 譲 :ネットメディア研究家・コラムニスト・炎上ウォッチャー