なぜ履正社は星稜・奥川の攻略に成功したのか?
第101回全国高校野球選手権大会は22日、甲子園球場で決勝を行い履正社(大阪)が星稜(石川)の奥川恭伸投手(3年)を主砲・井上広大右翼手(3年)の逆転3ランなどで打ち崩し春夏通じて初の優勝を果たした。大阪勢は大阪桐蔭に続く連覇で通算14度目の日本一となった。履正社は、どうやってセンバツ、練習試合と2度抑えられていたドラフト1位候補、奥川の攻略に成功したのか。その理由に迫ってみた。
配球を読んだ逆転3ラン
奥川vs井上のドラフト候補同士の対決が序盤のハイライトだった。 履正社が1点を追う3回。二死から奥川が連続四球。一、二塁と走者が埋まった。 星稜ベンチから伝令が飛ぶ。 打席に向かう井上は冷静だった。 「(第1打席で)打ち取った球で次はくる。絶対にストライクを取りにくる」 1回二死三塁の先制機に井上はスライダーを見逃して三振に倒れていた。 井上の配球の読みは、そのスライダーだった。 強打者、井上を意識する余り奥川にも狂いが出た。テイクバックの際、わずかに手がふとももにかすり手元が緩む。「失投」と、振り返る高めに抜けた117キロのスライダー。井上は、それを見逃さない。一発で決めた。軸回転でとらえた打球はそのままバックスクリーン左へと飛び込んだ。 4番の重責を果たす逆転3ラン。一塁ベースを回ったところで井上は右腕を突き上げた。 3月23日のセンバツ1回戦で履正社は、星稜・奥川の前に3安打17奪三振を喫して0対3で完封負けした。「打倒・奥川」がチームのスローガンになった。その試合、4番の井上は4打数ノーヒット。しかも2三振を食らい、9回は一発が出れば同点という同じく走者を2人置いた場面で、投ゴロ併殺打に終わり、屈辱とも言える形で最後の打者になっていた。 「春からは奥川君を打つためだけに取り組んできた。あのころは打席で修正しようとしてもできなかったが、今はそれができるようになったし、狙い球を仕留められるようになった」 井上は打撃スタイルも変えた。6月の一時期、調子を落とし4番を外されることもあったが、悔しさをバネに猛練習で奪い返す。それまで、どちらかといえばじっくりとボールを見極めて打つタイプだったが「初球から迷わず積極的にどんどん振って行くようになった」という。それも、これも「どの球種でもストライクが取れる投手」の奥川を意識したからだ。 初球を潰すーー。井上が掲げたテーマは決勝の舞台で結実した。 「打倒・奥川」にチームも一丸となっていた。 これまで「打線は水もの」と言い、かつて4打席連続本塁打を放った打者を次の試合で4度送りバントさせたという逸話まで持つ岡田監督が打撃向上に目を向けた。 多くの時間を打撃練習に割き、打撃マシンを160キロに設定し、スピードボールに対して打ち負けないスイングスピードを身につけさせようとした。それでも6月の星稜との練習試合では3対4の敗戦。奥川に6回4安打1失点、9奪三振に抑えられ、この時点では、まだ歯が立たなかった。だが、この体験は履正社のメンバーの意識を変えさせた。 フリー打撃の最後にはカウントや状況を設定したケースバッティングを行い、各自がそれぞれの課題に取り組んだ。履正社ナインの1人が、その様子を教えてくれた。 「1人1人が集中し、目的意識を高めてストレートマシンに向かったり、変化球のマシンで打ち込んだ。浮いた変化球を狙う、なんてこともやっていました」 練習の質を高める意識革命である。