「批判するだけの大人になりたくない」自身の経験から子どもたちに世界を広げる学びを!元ヤンキー先生の挑戦
香川県高松市で小学生から高校生までを対象とした予備校「濱川学院」を経営する濱川武明さん。数々の教え子たちを有名大学に送り出し、卒業生たちは各界で活躍している。しかし、単なる受験対策にとどまらない教育にこだわる背景には、壮絶な学生時代の経験と、直面した地域格差にあった。 【写真5枚】初開催のサマープログラム(濱川武明さんより提供)
弱者の立場を感じる学生時代
小学校時代は比較的優等生で勉強も楽しいと感じていた濱川さん。身近に身体障がいがある人がいたこともあり、子どもながらに立場の弱い人に対して何かしたいという気持ちを持っていた。 「小学校時代、いつもすり切れているズボンをはいている同級生がいました。彼は学校でいじめられていて、私はその子の隣で泣き叫びながらそのいじめに抵抗した記憶があります。当時はうまく言語化できませんでしたが、本人は悪くないのに苦しい状況に置かれてしまう人々がいることに対して憤りを抱いていました」 その後、社会の役にたつためのより専門的な学びができると期待して地元の県立高校へ進学したが、その高校の教育・指導に段々と強い違和感を抱くようになる。 当時は徹底的な管理教育で、教師が子どもを殴ったり命令したりするのが当たり前。大人の理不尽さを感じ、学校教育に絶望した。進学校ではあったが勉強は一切せず、アルバイトとバンド活動に明け暮れる生活で停学も経験した。そんななか、転機が訪れる。
友人からの一言
「友人にひとり親であまり裕福ではない家庭の子がいました。貧困のスパイラルから抜けだそうと、必死で勉強も頑張っていました。しかし、母子家庭で生活のために本人もアルバイトをしている状況。最終的には、進学を諦めることになります。そのときに言われたんです」 「『進学したい私はその夢を断たれた。でも家庭にも恵まれている君は勉強もしないで現実から目をそらしている。こんなの理不尽よ』って。その言葉に私は強いショックを受けました」 そんなとき、ともに高校を停学になった友人が、勉強を始めていた。彼はのちに北海道大学へ進学したのだが、非常に自由な塾に通っており、紹介で濱川さんも通うようになる。そこで人生の師に出会う。 「当時、学年432人中ビリの成績でした。高校入学以降、ほとんどペンを持ったことがなかったため、字の書き方を忘れかけていたほどでした。そんな状態で勉強を再開。しばらくして久しぶりに学校にいったら、たまたま実力テストの日で受けるはめになります。すると数日後、学校に呼び出されました。なんと、英語と国語で学年トップの成績となり、学校中で大騒ぎになっていたのです。高校3年生の秋のことでした。それまで、大人たちから『くず、ごきぶり、くさったみかん』なんて言われていましたが…。それが、高成績で大人の反応がころっと変わったんです。その反応に、大人への不信感が余計に増しました」
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