「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(1)~元号の世界的位置づけ~ 西暦一本化に反対する理由
まもなく平成が終わり、新たな元号の時代がやってきます。日本だけでしか使われていない時代区分ではありますが、新聞やテレビなどで平成を振り返るさまざまな企画が行われるなど、一つの大きな区切りと捉える人が多いようです。その一方で、元号に対して否定的で「西暦に統一したほうがいい」という意見も少なからず聞こえてきます。 そもそも、人はなぜ年を数えるのでしょう。元号という年の数え方に注目が集まっている今だからこそ、人がどのような方法で年を数えてきたのか、それにはどのような意味があるのかについて考えてみるのはいかがでしょうか。 長年、「歴史における時間」について考察し、研究を進めてきた佐藤正幸・山梨大学名誉教授(歴史理論)による「年を数える」ことをテーマとした連載「ホモ・ヒストリクスは年を数える」では、「年を数える」という人間特有の知的行為について、新しい見方を提示していきます。
自国(自文化)紀年法のあることが世界共通紀年法の前提
現在、日本人の大きな関心事の一つに、新しい天皇の即位(践祚・せんそ)に伴う新元号が何になるか、というものがある。そして、改元への関心を出発点として、少しずつクローズアップされてきたのが、年を数えるシステム、即ち「紀年法」への関心である。 メディアの報道を見聞すると、「世界の大多数が西暦を使用していて便利だから、それ一つにしたらよい」という識者の意見が多いようだが、私はこの意見に反対だ。 私はこれまで古今東西の種々様々な紀年表記を研究してきたが、結論として言えるのは、「二つの異なる紀年法を併記することが、年認識の基本型だ」ということである。その二つとは、自国(自文化)の紀年法と世界共通の紀年法である。 私が二つの紀年法の併用が良いと考えるのはなぜか。それは、年を数えるという行為が、ただ単純に経過年に番号を振るだけの行為ではなく、歴史的・宗教的・政治的・文化的・国際関係的な行為だからである。
キリスト教紀年法の普及は「つい最近」?
日本で西暦とよばれる紀年法は、英語では、キリスト教紀年法(Christian Chronology)と言う。イエス・キリストの生誕年とされる年を元年として、通年で年を数える紀年法だ。元々はキリスト教諸国家(Christendom)の中だけで使用されていたが、共通紀年として単独で使用され始めたのは、ヨーロッパでも19世紀中頃からにすぎない。歴史的には「つい最近」のことである。 第2次世界大戦後になると、アジア諸国でもキリスト教紀年法を使い始めることになる。さらに、21世紀に入って、インターネットが世界的規模で通信に利用され始めると、西暦がネット世界共通の紀年として広まった。ちなみに、ここで使った西暦という用語だが、これはキリスト紀年を表記するために明治日本で造語されたものだ。 紀年法を考えるときに重要なのは、その紀年法が考案された年と、起算年(紀年第一年とする年)がいつなのか、ということは全く違うということである。簡単に言うと、今年が2019年であるからといって、キリスト教紀年法が2019年前から使用されていたわけではない。 キリスト教紀年法は、紀元6世紀前半にディオニシウス・エクシグウス(Dionysius Exiguus、470頃~544頃)によって考案された。つまり、当時、イエス・キリストの生まれた年だと考えられていた年まで500年ほど遡った年を起算年として、紀年を開始したに過ぎない。ヨーロッパ人の間で使用され始めたのは10世紀以降であり、ヨーロッパ社会で基軸紀年として単独使用され始めたのは、19世紀中頃からである。 案外知られていないことだが、現在世界で使用されている紀年法の中で、その紀年法が考え出され、使われ始めてから最も長い歴史を持つのは、実は、創世紀年法でもなく、キリスト教紀年法でもなく、ヘジラ紀年法でもなく、東アジアで使用されてきた年号紀年法である。年号紀年法は、紀元前114年に前漢の武帝によって開始された紀年法で、現在の日本では元号という表記に変更し、継続使用されている。改元(年号の変更)は即位(践祚)に際してのみ行うという制度にした明治日本で新たに造られた言葉である。