「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(1)~元号の世界的位置づけ~ 西暦一本化に反対する理由
理想は自国の紀年法と世界共通紀年法の併用
年号紀年法は、単独で使用される場合もあるが、多くは干支紀年法と併記して使用されてきた。干支自体は古代中国の殷代(前1520~前1030)から使用されていたが、現在に続く、干支による紀年法は、後漢(25~220)以降に始まった紀年法である。 年号は積年紀年法であり、干支は循環紀年法である。この二つの併用により、東アジアの漢字文化圏では、1700年以上にわたって、正確に年を数え、認識してきた。この年号と干支による紀年法は、日本においては現在でも使用されている。 先に、「二つの異なる紀年法を併記することが、年認識の基本型だ」と書いたが、事実、キリスト教諸国家以外は、自国(自文化)の紀年法と西暦の並列表記が多い。世界共通紀年は時代により変わるが、自国の紀年法はめったなことでは変わらない。 二つの紀年法の併用と書いたが、東アジアでは3世紀以降、1700年以上にわたって、年号紀年法と干支紀年法が併用されてきた。年号紀年法は漢字文化圏の各国ではそれぞれに皆異なる年号名称を使用している。しかし、干支紀年法は、漢字文化圏の諸国家共通の経年表記として使用されてきている。 第2次世界大戦後、世界との交流が盛んになると、日本でも東アジアだけの共通紀年ではなく、世界共通紀年が必要とされるようになった。そこで日本では、干支紀年法に代えて、キリスト教紀年法を西紀(後に西暦という表記が多用されるようになる)という名称のもとに世界共通紀年として使用し始めた。元号と西暦による紀年併記の誕生である。しかし、干支も依然として利用されていることを考えると、三つの異なる紀年法を併用しているといえる。 西暦だけで十分ではないかと考える人がいるかもしれないが、ここで、発想を180度転換してみてほしい。 今現在の世界の紀年法は、西暦だけを使用しているキリスト教国家が「特異」なのであり、日本をはじめとするキリスト教国家ではない世界諸国の多くが採用する複数の紀年法の併用こそが「本来の姿」である、と。 ではなぜ、キリスト教国家は特異な状況に陥ったのか。それは、キリスト教国家が自分たちだけで使っていたはずの紀年法が、結果的に世界共通紀年法になってしまったためである。 実は、ヨーロッパ諸国においても、19世紀前半までは、ユリウス通日・創世紀年・キリスト紀年等の複数の紀年法が併用されていた。私の知る限り、キリスト紀年を単独使用したのは、1842年にロンドンで出版されたジェームズ・ベルの『世界史一瞥』が最初である。 日本の元号と西暦の併用体制は決して特異なものではない。むしろ、併用しているということは、長年にわたって工夫して年を数えてきた叡智の証でもある。次回以降、元号や西暦について、さらに深く考察を進めていきたい。 著者紹介:佐藤正幸(さとう・まさゆき)1946年甲府市生。1970年慶應義塾大学経済学部卒。同大学大学院及びケンブリッジ大学大学院で哲学と歴史を専攻。山梨大学教育学部教授などを経て、現在、山梨大学名誉教授。2005~2010年には、President of the International Commission for the History and Theory of Historiography(国際歴史学史及歴史理論学会(ICHTH)会長)を務めた。主著に『歴史認識の時空』(知泉書館、2004)、『世界史における時間』(世界史リブレット、山川出版社、2009)、共編著:The Oxford History of Historical Writing :Volume 3:1400-1800 , (Oxford University Press, 2012)など。