嘘でつくられた歴史で町おこし 200年前のフェイク「椿井文書」に困惑する人たち
滋賀県立大学名誉教授で考古学者の林博通さんも、椿井文書のすべてがフェイクというわけではないと指摘する。 琵琶湖の北部一帯は、正中2(1325)年の地震による地すべりなどで、一部の集落が琵琶湖に沈んだと複数の史料で伝えられている。林さんはそれを確認すべく、湖底に潜っての実地調査を進めた。成果は『地震で沈んだ湖底の村──琵琶湖湖底遺跡を科学する』(2012年、サンライズ出版)などにまとめて発表した。 調査に入る際、椿井文書の絵図「筑摩社並七ヶ寺之絵図」も参考にした。椿井文書は信頼性に欠けるとは聞いていたが、「筑摩社」の絵図にはその後の地図と一致する部分があるのも確認していたためだ。林さんが言う。 「絵図には誇張や省略が多々あります。一方で、江戸後期の状況を伝える部分も少なからずありました。たとえば、現在は干拓されて存在しない筑摩江(入江内湖)という琵琶湖の内湖も描かれています。そこに描かれた小さな島は、明治期に大日本帝国陸地測量部が調査した地形測量図(2万分の1)でも同じ位置にあり、椿井が地理などにこだわっていたことが確認できます」 こうした事実から、林さんは「今後の発掘調査などによって、椿井文書につながる歴史の痕跡が見つかる可能性は十分にあると思います」と話す。
偽の歴史が生き続けることへの警鐘
馬部さんが椿井文書に出合ったのは、大阪府枚方市で市史担当部署の非常勤職員をしていた2003年のこと。歴史学者の間で疑問視されていた椿井文書が、『枚方市史』で中世史料編に収められているのを見つけた。そのことに疑問を覚え、椿井文書の研究を始めた。 「これまで椿井文書の存在に気づいた研究者たちは、偽文書を研究するのは時間の無駄だと黙殺してきたのでしょう。でも、そういう情報が広く共有されなかったから、郷土史の根拠として使われ続けてきたのです」
15年以上も研究したおかげで、いまでは部分的な画像を見ただけでも、字体や筆跡から椿井文書が判別できるまでになった。 中世史が専門である馬部さんが、近世の椿井文書にこだわったのは、自治体の非常勤職員として苦い思いを何度も経験したからだという。 「地域の歴史は観光資源であり、町おこしや経済振興にも生かされます。史実としての正しさより、利用価値が優先されることは少なくない。そのため歴史学者の意見は無視されるのです」 椿井文書が偽文書として郷土の史料から排除されれば、偽の歴史は時間の経過とともに忘れ去られる可能性はある。しかし自治体が史料として扱い、記念碑などを建造すれば、椿井のつくった偽の歴史は生きつづける。馬部さんはその点に警鐘を鳴らしてきた。 「各地域には貴重な古文書が数多く埋もれています。近年はネットオークションに出品され、散逸することも増えている。地域の歴史が大切なら、各自治体は古文書などを扱える歴史の研究者を増やし、もっと充実させるべきでしょう」 死後180年以上経ってなお、人々を騙す力をもつ椿井文書。偽文書の研究は、歴史観を見つめ直すきっかけとなるかもしれない。
伊田欣司(いだ・きんじ) 1966年、東京都生まれ。ビジネス誌の編集者を経てノンフィクションライターとなる。総合誌やWEBメディアで社会、経済、教育など幅広い分野の取材・執筆を担当。