嘘でつくられた歴史で町おこし 200年前のフェイク「椿井文書」に困惑する人たち
椿井文書は数百点におよぶ
昨年3月、椿井政隆の偽文書に関する本『椿井文書──日本最大級の偽文書』(中公新書)が出版され、話題を呼んだ。“江戸時代のフェイクニュース”と新聞でも取り上げられた。 著者は大阪大谷大学准教授の馬部隆弘さん。椿井文書は文書だけでなく、地図、家系図、寺社や城の絵図など、数百点におよぶと言う。 「椿井文書は、文書の体裁や字体を使い分けること、制作技術が巧妙であることなどが特徴として挙げられます。問題なのは、各地の自治体が自治体史の編纂や郷土史の根拠にするなど、現在にも影響が強く残っていることです」
地元で語り継がれる“歴史”が真っ赤な嘘だった──そんな馬部さんの指摘によって当惑する人たちもいる。前述の菩提寺まちづくり協議会の田中秀明さんもその一人だ。同協議会は、ふるさとの歴史を知るきっかけになればと、まちづくりセンターの菩提寺歴史資料室に絵図の複製を掲げている。その内容に嘘があると指摘され、ショックは当然あると田中さんは言う。 「古図の制作年月日が実際はなかったと知ったときは驚きました。たしかに、菩提寺が焼けて200年以上も経った江戸時代後期に描かれたものなので、境内の細部は作者の想像かもしれません。ただ……、地元の歴史を伝える貴重な史料として、すでに定着していることも確かです」
偽文書は、何らかの目的をもって偽作された古文書のことだと馬部さんは言う。 「たとえば、ある村や地主がその地域の価値を高めたいと考える。そのときに、著名な寺社と過去に深い関わりがあったという“歴史”が古文書に示されていれば、効果的な説得材料になります。そんな権威づけのために事実を偽って制作された古文書は多く、椿井文書もその一つです」
米原市にも影響
椿井文書が“ふるさとの歴史”として語られているのは、菩提寺だけではない。滋賀県北部の米原市では、「七夕伝説」が地元のお祭りや地域振興に用いられてきた。この伝説のもととなっているのが椿井文書だ。 1987年に「世継神社縁起之事」という古文書が、近江町(現米原市)の史料調査で発見された。天正15(1587)年に世継六右衛門定明という人物が書いたとされ、七夕の由来となった“史実”が記されていた。それによると、米原市の蛭子神社(ひるこじんじゃ)はかつて世継神社と呼ばれ、雄略天皇の第4皇子である星川稚宮皇子(ほしかわのわかみやのみこ)と、仁賢天皇の第2皇女である朝嬬皇女(あさづまのひめみこ)が祀られていた。ふたりの悲恋を知った僧侶が合祀した──とされる。