松井大輔がプロ生活23年を振り返る「ちゃんと話すと、本1冊でも収まらないよ(笑)」
【京都時代は本当に充実した毎日でした】 ── ケガでもう体がボロボロになったというわけではなかったんですね。 「2~3カ月かけて体を作り直せば、まだ全然プレーはできますよ。ただ、もうその気持ちになれなかった。特に7~9月の夏の時期のことを考えると、やっぱりもう厳しい。 僕もそうでしたが、多くのベテランが40歳を境に引退するパターンが多いのは、あの夏の暑さに適応できなくなるからなんだと思います。しかも最近のサッカーは、どんどん選手がアスリート化しているので、その影響もありますね」 ── 現在の仕事の話をうかがう前に、現役時代を振り返っていただきたいと思います。 「ひとつひとつをちゃんと話すと、本1冊でも収まらないと思いますよ(笑)。それくらい、いろいろなことがギュウ詰めになった23年間だったと感じています」 ── ですね(笑)。2000年に京都に入団した頃、当時18歳の松井大輔は40歳を過ぎても現役を続けていると想像していましたか? 「さすがに当時は引退のことまで考えていませんでしたが、南アフリカワールドカップ(2010年)のあとは『30歳なかばくらいに引退するんだろうな』って想像していましたね」 ── 高校を卒業してすぐにプロ入りして、初年度からJ1で22試合に出場していますよね。プロの壁にぶち当たることはなかったのですか? 「最初はプレッシャーの速さや当たりの激しさに違いを感じて、いわゆるプロの洗礼を浴びましたけど、試合に出ているうちにだんだん慣れていった感じでしたね。 それと、当時監督だった加茂(周)さん、コーチのゲルト(・エンゲルス)さんは、若い選手を育てようと思っていてくれたのか、僕を試合で使い続けてくれました。ミスをすることも多かったけど、試合に使い続けてくれたことによって成長することができたと思います。 しかも、当時の京都にはカズさん(三浦知良)、重さん(望月重良)、平野さん(平野孝)という先輩がいて、タレントも揃っていたから毎日が刺激的で、練習に行くのも楽しかった。特にカズさんとは毎日のように一緒にいさせてもらって、プロとは何かを教えてもらいました。 まだプロになりきれていない自分にとっては、その教えとのギャップを埋めていく作業がすごく楽しくて、京都時代は本当に充実した毎日でしたね」