内田雄馬のエゴと覚醒「僕らは観られて初めて完成する存在」
個性の裏付けが見えるようになっているのが面白い
――『EPISODE 凪』は、凪にとっても玲王にとっても一つの分岐点で、玲王にとっては初めてぐらいの挫折なのかな、と思うのですが、今回演じる上で気をつけられた点、意識された点はありますか。 今回の話は本編でも描かれている部分があるので、基本的に本編のときと、心情の捉え方とかは変わっていません。ただ、視点が変わることで、作品として見せ方が変わるので、本編とは違うディレクションをいただいてます。 本編はどちらかというと潔たちの視点なので、凪たちの感情の細かい動きはそんなに見えないんですけど、今回は凪たちの視点なので、感じていることをひとつずつ、より細かくリアルに表現して良い、とディレクションをいただきました。割と自然に、シームレスに組み立てていいという作りだったので、心情の解釈は変わらないんですが、お芝居の表現という点では本編とはちょっと違うと思いますね。 ――今回のような場合って難しいと感じたりはされるんですか? 組み立て方が自分の中で変わったりだとか。 玲王をこの2年ぐらいやらせていただいていて、見ている分「こうなんだろうな」という解釈は自分の中にもあったりするので、そこは特に今までと変わりなく、です。でも、やっぱり作品作りなので、お芝居のアプローチは都度変わります。今回で言えば『劇場版ブルーロック -EPISODE 凪-』で何を見せるか。TVシリーズの『ブルーロック』で何を見せるかもその都度違うので、どう見せるかの違いはあります。それは現場でディレクションをもらっています。僕らはそれに合わせて芝居の見せ方を変えるのが仕事なので、ある意味そこはそんなに難しいことじゃないですね。 何が大変かというと、感情を理解しよう、解釈をしようとしたときに、そのキャラクターのことを理解できないときです。もちろん、自分とは違う人間ですから、全く感性が違うということは当たり前にあります。ですが、この作品に関しては、各キャラクターの心情がもとをたどるとわかりやすいものだったりします。多分、先生の描き方がとても上手で丁寧なんだと思います。理解するために必要な情報を作中で描いていらっしゃるような。第一印象では個性が強い人たちに見えるけど、その個性の裏付けが何か見えるような作りになっているのがおもしろいところなのかもしれないですね。 ――だからこそ、『EPISODE 凪』も作られるんですね。 そうですね。各キャラクターの内面的なものが結構描かれていると思います。玲王の人間性は自分の中で解釈ができたので、そういう意味での大変さは今のところはないですが、世の中にはもちろん簡単じゃない役もいますし、多分『ブルーロック」の中にも「何を考えてるのか紐解くのが難しい人」という役もいると思うんですけど、玲王と凪に関しては、すごくシンプルなような気がしてます。 ――おっしゃられていたようにキャラクターの個性が際立っていて、キャラクター同士の関係性も面白いところかなと思います。凪と玲王に関しては、もともと知っている仲だということもあり、作中でも特別な部類に入るのかな、とも思ったんですけど、その関係性についてはどのように考えていらっしゃいますか。 凪と玲王は2人でW杯を取るという約束をしていて、それが彼らの一番大事な目的だと思うんですよね。だからそのためにどうするか、ということを多分考えています。他のキャラクターたちもいろいろな思惑があると思うんですけど、例えば自分が最強のストライカーになるためだったりいろんな目的がある中で、凪と玲王は自分というより、この2人で一緒に取るっていうことが目的なので、そこは“ブルーロック”という場所においては、ちょっと特殊なのかなとは思います。 300人の中からたった1人を決めるというプロジェクトなので、その中で目的が違う。相手がいて、2人が揃っているという前提から始まっています。そこから、この劇場版を見てもわかる通り、2人わかれて進んで、各々が自分の場所で自分のサッカーを見つけて、お互いが並び立てるところまで行こう、と進んでいくので。 ――そう考えると改めて“ブルーロック”のシステムの残酷さを感じますよね。 300人のうち1人しか残れない。最強のエゴイストストライカーを決めるために削り落としていくっていう話なので、過酷ですよね。