箱根駅伝「山の神」を目指していた創価大・吉田響が5区をあきらめ、2区を走った理由「以前のようにスイスイいけなくなった」
【5区を思うようなスピードで上れない】 吉田は、その席で榎木監督と十分に話し合い、お互いに納得したうえで5区をあきらめ、スッキリとした気持ちで2区に臨むことができたという。 ただ、それでも吉田の5区への思い入れやこだわりが非常に強かったことを考えれば、本当にそうだったのかと訝しんでしまう。単にふたつの駅伝で結果を出し、平地での走力がついたから"花の2区"に鞍替えというのは、吉田のポリシーとはちょっと違うと感じたからだ。 「そうですね。僕の目標は山の神になることであり、それは少なくとも夏までは揺るぎなかったんです。だから、5区をあきらめ、2区に変更する決断をする際は、葛藤はもちろん、なかなか自分でも納得しきれない部分があったんです。でも、今回の決断で大きなポイントになったのは、5区を思うようなスピードで上れないと感じたからです」 出雲、全日本で結果を出し、平地での走力がよりいっそう高くなったことを考えれば、山を駆け上がるスピードも当然、増していると考えがちだ。2代目・山の神の柏原竜二さんも「山の走力を上げるには、山にとらわれるのではなく、平地での走力を高めていくことが大事」と語っていた。吉田も学生トップクラスの走力を身につけ、山の神になるための準備は万端のように見えた。 だが、当の本人が感じたのは違和感だった。 「東海大から(3年時に)創価大に転校し、環境が変わって練習していくなかで平地の走力が抜群についたんです。でも、そのぶん、山の走力が頑張ってもなかなか伸びなかったんです。なんか、以前のようにスイスイいけないんです。正直、何なんだろうって思いました。たぶん、平地で走れるようになって、体の使い方とか筋力とかが山の仕様じゃなくなってしまったんです。夏まではしっかり山の練習をしていたんですけど、それでも山でスピードが伸びないので、監督と相談しました。自分のためにも、チームのためにも2区がいいということになり、2区を走ることになったんです」 より走れるようになったから5区をあきらめる。痛しかゆしだ。吉田が最後まで葛藤したのも理解できる。ただ、2区変更にはもうひとつ理由があった。 「昔の自分だったら、走れるようになったし、絶対に5区だと言い張っていたと思います。でも、創価大に転校してきて、吉田正城前主務や志村健太前キャプテン、チームのみんなに本当にお世話になりましたし、選手としての力をつけてくれました。その恩返しじゃないですけど、僕は、このチームで何がなんでも勝ちたいと思ったんです。自分の夢よりも往路優勝して、総合優勝するために自分ができること、チームに貢献できることを考えると、自分が2区で走ることが一番だと思ったんです」