箱根駅伝「山の神」を目指していた創価大・吉田響が5区をあきらめ、2区を走った理由「以前のようにスイスイいけなくなった」
【5区の練習をやってきたのが2区に生きた】 例年同様、今回の2区も各大学のエースが顔を揃えた。「出雲や全日本を走る前なら走るのが怖いと思っていたでしょうね」と吉田は苦笑するが、そのふたつの駅伝で各大学のエース級と互角以上に渡り合えたことが大きな自信になった。 「初めての2区は緊張も不安もなかったです。むしろ篠原(倖太朗)選手(駒澤大・4年)や平林(清澄)選手(國学院大・4年)、黒田(朝日)選手(青山学院大・3年)、(ヴィクター・)キムタイ選手(城西大・3年)とすごい人ばかりで、この人たちと走れるんだというワクワク感を持って臨めました」 17位でタスキをもらうと、エンジン全開で前を追った。走りに集中し、14㎞手前からの権太坂で10位にまで順位を上げ、18㎞過ぎには青山学院大の黒田の背後につき、驚異的なまくりを見せた。20㎞付近からの"戸塚の壁"では上りの強さを見せつけ、リチャード・エティーリ(東京国際大・2年)に続く区間2位(区間新)、日本人歴代最高記録の1時間05分43秒という驚異的なタイムをたたき出し、チームを4位にまで押し上げた。 「プランとしては15㎞まで落ち着いて、そこからペースアップして、残り3㎞で全員を抜いてやるという気持ちで走っていました。20㎞過ぎ、黒田選手に一度離されてしまったんですけど、"戸塚の壁"では追いついて。それは自分が5区の練習をやってきたのが生きたと思いますね。(区間タイムで)1秒差というギリギリのところで黒田選手に勝てて、5区のためにやってきたことがムダじゃなかったんだと思えてうれしかったですし、このチームで(2区の)日本人歴代トップを飾ることができて良かったです。あっ、(東京国際大のイェゴン・)ヴィンセント選手の区間記録(97回大会、1時間05分49秒)を抜きたいと思っていたので、それもできて良かった(笑)」 2区で記録と記憶を残した。榎木監督が考えたオーダーで重要な役割を果たし、優勝は果たせなかったが、チームに勢いをもたらす快走を見せた。出雲以降、吉田の走りを見るのが楽しみだという人が増えたが、首を振って懸命に走る姿をもう大学駅伝で見られないのはちょっと寂しい。そう本人に伝えると、こう答えた。 「いやぁ(苦笑)。でも、疲れましたけど、楽しかったです。悔いはありません。これからは上のレベルの選手と戦えるワクワクがあるので楽しみです」 山の神にはなれなかったが、2年間で創価大のエース、救世主になった。創価大駅伝部の歴史において、「吉田響」の名前は永遠に語り継がれていくに違いない。
佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun