「机上の空論」だった老舗のアトツギ息子が、現場でパートさんに怒られまくって学んだこと
◆旅館の売却に成功、ご褒美にアメリカ留学
――入社後、調理部門をはじめさまざまな部署を経験されたそうですね。 料理の道に進もうと思っていましたが、食材のアレルギーがわかって断念しました。 元気を買われて販売部門に行かされ、販売が面白くなってきました。 時はバブルの頃です。 当時、会社は日光で旅館を始めていました。 でも、全然収益が上がらず、人手もないので、誰か元気な人を……と指名が来て、私が出向することになりました。 「本店の2代目」ということで、いつの間にか専務取締役総支配人という肩書きになってしまいました。 そのうち資金繰り、集客、財務など専務らしい仕事もするようになると、もうこのままでは立ち行かないというのが分かってきました。 それまで修学旅行向けの宿だったのを、高級路線の観光旅館にしようと計画を立てたものの、赤字だらけの旅館に資金を出してくれる人がいない。 それなら売却しかないと、売却先を探すことにしました。 ――バブルの時代なので、買い手はすぐついたのでは? 有名なホテルのオーナーさん達が目の色を変えてとびつき、旅館の上に視察のヘリコプターが飛ぶほどでした。 その中で一番値を上げてくれる人は誰かと考え、隣の旅館のオーナーに話を持って行ったところ、こちらの希望額以上ですんなり話がまとまりました。 「売却が決まったよ」とうちの父に言ったら、ひっくり返って驚きましたね。売却益のおかげで、人形町今半始まって以来の収益が出たということで大騒ぎになりました。 以前から、ホテルの勉強のために留学したいという希望があったのですが、うちの会計士が父に「今回は哲郎さんの手柄ですから、留学を認めてあげてください」と口添えをしてくれて、資金も出たし行っていいよ、ということになりました。 ――留学先ではどのようなことを学ばれたのですか? アメリカのコーネル大学で、観光ビジネスのプロのための大学院に通い、イギリスのホテルのアドバイザーとしてダイニングを担当もしました。 その経験から、海外でのオペレーションにも自信を持てるようになりました。