19世紀英国の女性をリアルに描いたジェーン・オーステイン、独身を貫いた生涯と結婚観とは
『高慢と偏見』『エマ』ほか、鋭い観察眼と皮肉とユーモアで今も根強い人気
英国人作家のジェーン・オースティンは、生涯家族と暮らし、外に働きに出たことがなかった。牧師の娘として生まれ、南イングランドを出ることはなく、結婚の申し込みを何度か受けたものの、未婚のままウィンチェスターで41年の生涯を閉じた。しかしその鋭い観察力を通して、当時の英国社会の趣ある詳細を、ときに皮肉を込めて描き上げた。 ギャラリー:自筆の手紙も、ジェーン・オースティンの生涯と結婚観 写真と画像16点 6つの代表的な小説はいずれも女性を中心とし、主に上位の中流階級の応接間で起こった出来事に焦点を当てている。機知に富み、鋭い洞察力を持ったオースティンは、女性たちが最低限の独立性を確保しようとするときでさえ直面した大きな障害について著した。
女性の教育は結婚市場で株を上げるため
オースティンはハンプシャー州スティーブントンに25年間住んだ後(女学校での短い期間を除く)、保養地として有名なバース、海軍基地のある港町サウサンプトン、そして最後にチョートンに住んだ。この時代、米独立戦争、フランス革命、ナポレオン戦争があり、英国ではジョージ4世が摂政を務めていた。 摂政時代の英国では、表現の自由が奨励されず、社会の現状に反対するような発言はご法度だった。特に女性には法的な保護がほとんどなく、自分の名前で財産を所有することも、法的・経済的決定を下すこともできなかった。 オースティンの小説でも、長子相続、限嗣(げんし)相続、遺産、王室、富、貧困、社会階級、不倫と私生児、植民地と奴隷制度、そして平等な権利といった様々な社会問題や政治問題が取り上げられている。 ジェーンと姉のカサンドラは、寄宿学校で短期間だが正式な教育を受けた。オースティンの時代、支配階級の若い娘が教育を受ける目的は、結婚市場で自分たちの株を上げるためだった。 教養を身につけていれば、まともなプロポーズを受ける確率が上がった。女学校で、または自宅で女性の家庭教師から、楽器、絵、刺繍、ダンスのほか、当時洗練された言語とされていたフランス語を丁寧に話すことを学んだ。会話を盛り上げるためだけに、地理や歴史を表面的に勉強しておくことも役に立った。 死の1年半前の1815年に出版された小説『エマ』のなかで、オースティンはゴダード夫人の学校について次のように書いている。 「妥当な量の教養が妥当な価格で売られている、本物の、誠実で古風な寄宿学校。家を出された娘たちが、何とかして少しばかりの教育を受けるために送り込まれ、天才になって戻ってくる心配もない」。17歳か18歳、ときにはそれよりも若いうちから、上位中流階級の娘たちは、社交界と結婚市場に送り出された。