不適切にもほどがあり過ぎた昭和バイク少年達の日常【昭和エモ伝 Vol.1】
16歳で手にしたゼッツー
初めて買ったバイクが当時出たての750RS。確かフレーム&エンジン番号が200だか300番代のド初期モデルだったと記憶している。前記した友人達は、すでにホンダCB750フォア、カワサキ750SS、スズキGT750、ヤマハTX750などに乗っていたので、自分の750RSを含めると、国産750のライバル全車が勢揃いしたことに(※みんな高校生です)。ここで見た目だけではなく、細かい乗り比べなどができたのもありがたかったね。 Z2の第一印象は、「美しい」の一言だった。タンクからシート、テールカウルへの流れるようなデザイン。そして塗装や細部の作り。性能も去ることながら、どこを見てもライバルを抜きん出たバイクだと思った。特に火の玉タンクと呼ばれる初期デザインの初期ロットタンクは、多重多層塗りで段差などを抑えた凝った物だし、つや消しでエッジだけアルミ色を残したエンジンなど、当時としては逸品だったと思う。 重量の割に取り回しも軽く、原付から乗り換えても簡単に扱えるぐらい操作性がよかった。というより、トルクがあるから逆に楽なぐらいに感じていたね。セルは装備されているものの、キック始動も楽だったし、センタースタンドも立てやすい。ちなみにこのセンタースタンドは、コツをつかむと跨がったままでも掛けらた。友人らのCBは重いし、GTのセンタースタンド掛けは難儀だったから、Z2の手軽さは優秀だったね。 ──最初の愛車はカワサキ750RS。当時は映画やテレビの撮影を手伝う事もあり、この写真は東映TVの「ザ・ゴリラ7」のロケで行った九十九里で撮った一枚。ただ、乗っているのは私ではなく、劇中の2人なのでした。
当時はノーヘルが当たり前
私がZ2に乗っていた’70年代初頭は、まだヘルメット着用の義務も無く、普段はノーヘルが基本。街中をサラッと流す分には、それはそれは爽快だった。ただ、高速道路を走る際やツーリングなどで遠出する場合は、先輩のアドバイスを守りヘルット装着が基本。速度が上がり長距離となると、ノーヘルでは視界と呼吸の確保が困難になるし、ハネ石や昆虫が目に当たりでもすれば失明の危険もある。もちろん、転倒時の重症率・死亡率も格段に跳ね上がったのは言うまでもなかった。 ヘルメット着用の規制については、’65年から一応の着用義務はあったんだけど、「できたら被ってねー」程度の物で罰則規定すら無かった。’72年には最高速度規制40km/h以上の道路では着用義務(罰則無し)になるものの、市街地は40km/h制限が基本だったからほとんど意味は無かったね。’78年になって、ようやく原付を除く罰則有りの着用義務になった(原付含むは’86年から)。いまからすると凄い話だよね。 ──’70年代初頭まではみんなノーヘルが基本。当時は当たり前だったけど、いま見るとゾッとする。