電車内でも日本酒を飲めるように...「ワンカップ大関」が生んだ容器革命
アウトドアブームの影響により、注目される「カップ酒」。現在ではご当地カップ酒や、凝ったラベルのものが人気を集めています。かつては徳利で提供されるだけだった日本酒ですが、「ワンカップ大関」の誕生という大きなイノベーションが起こりました。酒蔵コーディネーターの髙橋理人さんによる書籍『酒ビジネス』より解説します。 【書影】年間2000種類の日本酒を呑む著者が教える「お酒の教養」 ※本稿は、髙橋理人著『酒ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)を一部抜粋・編集したものです。
容器が起こした「流通のイノベーション」
カップ酒と言えば「ワンカップ大関」が真っ先に思い浮かぶと思います。世界で初めて発売されたカップ酒で、今ではコンビニやスーパーでも手に取ることができます。 ワンカップ大関が生まれたのは、今から60年前の1964年10月10日。日本で初めて行われた第1回目の東京オリンピックの開催日に合わせて発売されました。ワンカップ大関は、それまでの日本酒にはなかった「カップ酒」という新しいカテゴリーを生み、日本のお酒の流通を大きく変えたと言える商品です。 ワンカップ大関の誕生以降、1968年に大塚食品工業が日本初の市販レトルト食品である「ボンカレー」を、1969年にはUCC上島珈琲が世界初となる缶コーヒーを、1971年に日清食品が世界初のカップ麺「カップヌードル」を発売するなど、食品・飲料における大きなイノベーションが続きました。 ここで言えるのは、容器が大きな流通のイノベーションを起こしてきたという点です。そこで今回の記事では、日本酒で起きている「容器がもたらした流通に関するイノベーション」についてお話をします。
顔の見えるお酒
日本経済が急成長した1959年前後は、それまでの年間出荷量でトップだった日本酒からビールへと、嗜好が変わりつつあった時代でした。当時はまだ一升瓶の全盛期です。 そんな中で、大関の10代目社長・長部文治郎さんは、お店でお酒を飲むとき、瓶ビールは瓶のまま出されるとメーカー名がわかりますが、徳利を使うとどこのメーカーのお酒かわからない、と不満を募らせていました。 「もっと若い人が喜んで飲みたくなるような、全く新しい商品を作ろう」と思い立ち、徳利も盃も必要としない、いつでもどこでも飲めて、見ただけでメーカーの顔が見える商品づくりにチャレンジし、ワンカップを開発しました。 東京タワーの建設、東海道新幹線の開通など、経済や人の流通が変わっていく中で、東京オリンピックをターゲットとして、新しいクールな飲み方を宣伝しました。 その後、大きく飛躍したのが鉄道弘済会との取引でした。当時は、車内で日本酒を楽しむ場合は小さいサイズでも二合瓶を栓抜きで開けてキャップに注いで飲むのが普通でしたが、こぼしてしまうこともありました。 ワンカップ大関なら車内でもそのまま飲めるということで、レジャーブームにもあやかり、キヨスクでの販売がワンカップ大関の売上を伸ばすきっかけとなりました。ワンカップ大関が市場を開いたことで、各社もこぞってカップ酒に参入しました。 現在は、新型コロナウイルスを経てキャンプなどのアウトドアブームを背景に人気が再加熱しています。動物を模したラベルやご当地カップだけでなく、カップ酒専門店も生まれました。 そのまま温めて燗酒にできる利便性にも改めて注目が集まっています。ワンカップ大関が容器革命を起こしたことにより、60年前にはなかった1つの市場を確立しました。