手足の指20本が凍傷に…62歳でヒマラヤ名峰6812m「アマダブラム」登頂した男性の揺るがない山への情熱
標高6812メートル、ヒマラヤ山脈で最も美しい山ともいわれる「アマダブラム」の登頂に成功した男性が福井・大野市にいる。酸素濃度は平地の半分以下、マイナス20度の極限状態で手足の指20本に凍傷を負いながらも、山への情熱が揺らぐことはない。 ネパール北東部に位置する「アマダブラム」の山頂に立ったのは大野市在住の脇本浩嗣さん、62歳。現地時刻で10月14日午前9時頃のことだった。 山頂からはエベレスト、ローツェ、マカル―と、8000メートル級の名だたる山々を見渡すことができる。 地元の人から「母の首飾り」と崇められ、切り立った稜線が特徴的な山で、酸素濃度は平地の半分以下、マイナス20度の強風が吹きつける、極限の世界だ。 ハイレベルな登攀(とうはん)技術が求められ、世界最高峰の「エベレストよりも厳しい山」と言われている。この険しい山を踏破した脇本さんとはどんな人物なのか。下山後した後も続けているという、トレーニング登山に密着した。 11月18日、午前4時半。脇本さんが耐寒訓練のため向かったのは、富山県上市町にある馬場島。岩と雪の殿堂「剱岳」(標高2999メートル)の登山拠点となる場所だ。 小雨が雪に変わるころ、剱岳にむけて出発。岩肌の急な斜面が続く早月尾根ルートで、黙々と標高を上げていく。標高1600メートルを超えた辺りで徐々に積雪が増え始めた。 途中、霧が晴れて顔を出した太陽が稜線を浮かび上がらせる。 脇本さんがヒマラヤを目指したのは「エベレストを間近で見たいという思いがあり、エベレストが見えるヒマラヤの山々を登ってみたい」と思ったからだ。 高校では山岳部に所属し、インターハイで優勝した経験もある。これまで40年余り、山と関わりながら体力、精神力を磨き上げた。 登頂には準備期間を含めて1~2カ月かかるため、体力のあるうちにヒマラヤに行こうと勤めていた大野市役所を55歳で退職し、アタックに向けて準備をしてきた。 地元、大野市の「荒島岳」の登山愛好家グループの会長や登山ガイドを務めていて、2022年には遭難事故を減らすための登山道整備の助言や指導をする自然公園指導員としての活動が評価され、藍綬褒章を受章した。 今回、脇本さんが挑んだ「アマダブラム」の登山プログラムは、2週間ベースキャンプに滞在し、高度順応のトレーニングやキャンプを繰り返しながら山頂アタックを目指す27日間の挑戦だった。 今回のアタックでは、クラウドファンディングを活用した。その背景には、2年前に初めて行ったヒマラヤの経験があった。「2年前の帰国後の報告会で、いろんな事情で登れない人が会場に来ていて、行った気分になったという声が多かったので、一緒にみんなで感動を共有しようというプロジェクトを立ち上げようと思った」(脇本さん) 仕事や家庭の事情で行きたくても行けない人たちの思いを背負った挑戦をしようとクラウドファンディングを発案。登山中に挑戦して欲しいことを支援者から募り、SNSで自身の登山の様子を発信するという内容で、約90人から110万円の支援を受けた。 16日には、福井市内で登山の報告会を開き「岩場はほぼ垂直。岩場をずっと登り、これが終わると次は雪の壁が待っているので、ヘトヘトでなんとか手を上げている状態」と実体験を語った。 岩場や積雪が立ちはだかる中、標高ごとに設けられたキャンプエリアC1、C2、C3と高所でするキャンプの実態も伝えた。 「C2(5900メートル)のところでテントを張る場所がなくて、雪壁を切ってテントを張っている。夜トイレに行くときに注意しないと落ちる」(脇本さん) 極度の緊張が続く6800メートルを超える山頂アタック。ただ、踏破の瞬間はというと…「山頂には15分くらいしかいなかった。ガイドに映像を撮ってもらい自分たちは手を振っていただけ。登っている辛さの方が強く、もう登らなくていいと思った」と本音がこぼれた。 報告会で話を聞いた人は「酸素が少ないのにあんなところに行くだけでもすごい」「果敢にトライする姿に感動した」と感嘆した様子だった。 脇本さんは帰国後、手足の指先20本に変色としびれが残り、凍傷と診断された。それでも、山への情熱は揺るぐことなく「山はいろんな経験ができ、自分のスキルアップができる人生の厚みが増すような存在」と語る。 山への憧れが活力となり、まだ見ぬ世界を求めて次の一歩を踏み出そうとしている。