ネット社会・民意の参加者「個室の大衆」 安倍解散vs小池劇場に見るSNS政治
活字・テレビ・ネット
新聞をはじめとするジャーナリズムを「第四の階層(権力)」としたのは、『フランス革命の省察』を書いたエドモンド・バークであるが、書物、新聞、雑誌といった活字メディアの発達が、知識と情報の拡大をつうじて、政治を近代民主主義の方向に導いたことは明らかであろう。 初期には、政治に参加する階層が限られていたが、普通選挙の時代になっても、活字の時代には「文章の書ける人」すなわちジャーナリストや知識人が「民意」を導き、文章を読む層がそれを受け止めたのである。つまり活字時代の民意の参加者は、よく文章を読み書きする「知識階級」であった。 20世紀の後半に登場したテレビは、大宅壮一が「一億総白痴化」と評したように、政治的には批判的に扱われた。1960年のアメリカ大統領選挙におけるケネディとニクソンのテレビ討論を取り上げたマクルーハンは、テレビというメディアにおいては、論戦の内容よりも、話し方のスタイルや雰囲気が重要で、それがケネディ勝利の原因であるとした。 しかしマクルーハンが「クールなメディア」と評したのとは裏腹に、テレビ世代の政治動向は「若者たちの熱い反乱」に向かったのである。と同時に彼らはテレビを見ない層に転じた。テレビ放送はいわば資本主義体制の要であり、プロテスト・ソングとも呼ばれたフォークのグループは、テレビに出演しない旨を表明した。 つまりテレビ時代の民意は、テレビに影響を受ける受動的な大衆層と、テレビを否定する反逆層との二つに分かれる傾向にあった。だが先進国における反逆の熱は次第に冷め、その後のテレビ文化は、人々を政治的アパシー(無関心)へと導き、逆に、社会主義国に西側のテレビ放送が流れることによって、ベルリンの壁の崩壊を招いた。 テレビは、人々の関心と情熱を、政治から経済へと移行させたのである。そういった状況において、政治的な民意は、受動的な大衆とタレント的な出演者(演出者でもある)によって劇場的に形成された。 20世紀最後の四半世紀に登場したパーソナル・コンピューターは、メインフレームに対して若者文化であった。IBMの社員が背広を着ているのに対して、ガレージの工作室から始まったアップルではジーンズが当たり前、これは大企業化した情報産業の現在にまでつながる一種の文化現象でもある。 21世紀はインターネットの時代となった。 当初、個人が巨大メディアを介さず直接つながることが、草の根民主主義の復活とされ、政治的にも好感をもって迎えられた。しかしやがて、引きこもりや、現実逃避や、犯罪の温床となることが指摘され、国際的テロリズムにも利用された。 2010年代に拡大した「アラブの春」は、インターネットによる人々の連携とともに語られ、そしてその影響が飛び火することを恐れた中国政府は、インターネットを強い監視下に置いたのである。 発信・受信が双方向のネット社会は、明らかに、テレビによって消極的となった大衆を、積極的に政治参加させる方向である。