「悲しみ、苦しみがお顔の中から…」被爆者の姿と言葉を次の世代へ 長崎への原爆投下から79年 撮影を続ける写真家
長崎市上空で原子爆弾が炸裂してから9日で79年です。 広島と長崎で被爆した人たちの平均年齢は、今年3月末時点で85.58歳となっています。被爆体験の継承が課題となる中、高齢となった被爆者の姿と言葉を次の世代に伝える活動を続ける福岡市の写真家を取材しました。 【写真で見る】被爆者の撮影を続ける 写真家・松村明さん
75人の被爆者を撮影してきた写真家
遠くを見つめる高齢の人たち。 皆、79年前の8月9日、午前11時2分に長崎市上空で炸裂した原子爆弾のことを思い出しています。 写真家・松村明さん「被爆における悲しみであるとか苦しみであるとかそういうものがお顔の中から見えて来ているというふうに私は思えたから、アップ気味の形にしたという事ですね」 これまで75人の被爆者を撮影してきた福岡市に住む写真家、松村明さん(77)です。 今年5月にも、長崎市に住む2人の被爆者を訪ねました。 この日、撮影に応じたのは、96歳の林田進さん。17歳の時、爆心地から3キロの地点で被爆しました。 写真家・松村明さん「以前の事を少し思い出して頂いて」 被爆者・林田進さん「自分の体の皮膚がはがれて、その皮膚が垂れ下がっているわけですよ、その人が手を差し伸べて『水を水を』と抱きつくようにしてきた時は、私もびっくりしましてね」 松村さんが被爆者を撮影するようになったきっかけは、被爆2世の妻、麻実さんの存在です。 麻実さんの父親は、長崎造船所で被爆しました。 写真家・松村明さん「私自体が長崎と因縁を持ったという格好になるわけだから、長崎についてしっかりと捉えなければいけない、考えなければいけないなという思いがちょっとあって」 松村さんは、カメラマンとして働いていた新聞社を2005年に退職。その後、本格的に原爆に関連する写真を撮影するようになりました。 写真家・松村明さん「この石なんかがバクッとこう一瞬にしてぶっ飛んでしまった跡ですよね」 松村さんが最初に撮り始めたのは、被爆マリア像などの遺構でした。 原爆の被害を遺構の写真で表現しようとしていた松村さん。撮影を重ねる中で別の思いが芽生えてきました。 写真家・松村明さん「被爆という事を語るにあたって被爆者の方がおられないっていうのは被爆を語るに値しないかもしれないなという思いが出てきて。最初は被爆者の方を撮るのが私としてはとても重くて立ち入れないかなという思いがちょっとあったんですが」 松村さんは、被爆した人たちの写真で原爆被害の実態を表現したいと思いましたが、応じてくれる人はなかなか見つかりません。
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