「舌がん」ステージ4から50代で転職活動。5年生存率“約16%”でも開き直れたワケ
ラップをやってきたのに喋れなくなるかも…「医者の言葉を信用するしかなかった」
がん宣告の直後はベッドが空いておらず、結局M.C. BOOさんが入院したのはそれから1ヶ月後のことだった。 それまでの間は実家に帰省して、家族に事情を説明していたという。 「家族はものすごく心配してくれましたが、妻だけは全く弱音を吐かなかったんです。『昨日も検索ばかりして、泣きながら寝られなかったよ』と伝えると、『そらそうだよね。別に気にしなくていいんじゃないの』とポジティブに返答してくれて。 僕がいる前では、決してネガティブなことを言わなかった妻と、仕事終わりに面会に来てくれた弟には、闘病中もすごく支えられたなと思っています」 M.C. BOOさんが入院したのは、がん宣告から1ヶ月後のことだった。ここから、闘病生活が始まる。 がんの再発を防ぐために舌の3分の1を摘出して、左手の血管と皮を移植したほか、リンパ節にできた2つのしこりを切り、太ももから皮膚を取ってきて移植を施す手術を受けた。 術後は2週間くらいは喋れずに筆談生活を送っていたM.C. BOOさん。 「ラップをやってきた身として、話せなくなるのはとても悲しかった」 そう思っていたそうだが、「絶対に治るし、喋れるようになる」という医者の言葉を信用するしかなかったそうだ。 「堀ちえみさんも退院されたときは、カタコトだけど喋れていたんで、そのくらいは自分も喋れるようになるだろうと思っていました。ただ、舌のがんを摘出してもしこりの中に癌があれば、抗がん剤治療が始まるので、正直に言って“運任せ”の部分もありました」
退院に向けて欠かさなかった「散歩」と「病棟でのDJ」
その後は退院に向けて、喋る練習として絵本の『北風と太陽』を毎日読むことと、食べ物を飲み込む練習を繰り返したという。加えて、体力を落とさないために心がけていたのが「病棟内の散歩」だった。 「ベッドでずっと寝てると、気分も上がらないんですよ。本やiPadなども持っていったのですが、全然見たいとは思いませんでした。また、痛み止めと一緒に睡眠薬も処方されたんですが、僕には全然合わなくて悪い夢ばかり見るんです。 だからこそ、ご飯を食べて、薬を飲んで、ヘッドホンで音楽を聴きながら歩くのを日課にしていました。精神的に不安定で泣きながら歩いて、歩き疲れたら、倒れ込むようにベッドに入って眠る。医者からも『BOOさんのように歩く人なんていないですよ』と驚いてましたが、できるだけ体を動かすのを意識していましたね」 ちなみに散歩中は、ハードコアからヒップホップ、ボサノバなど、色々なジャンルの音楽を聴いていたとか。さらに入院中は、病棟で流れるBGMのDJを担当していたというエピソードも。 「病棟には、夜な夜な遺書を書く老人や、ステージ4のがん治療をしながら会社で働くサラリーマンなど、さまざまな境遇の患者さんが集まっていました。本当に皆さん頑張っていて、自分に何ができるかなと考えたときに、病棟の入口にあるナースステーションに小さなCDラジカセがあったんですよ。 そこで、僕が病棟が良い空気になる音楽を選曲、なんとなく励みになったらいいなと思って、時間帯や曜日に合わせて、クラシックやアニメのオルゴールメドレーのCDの中からDJしていました」