堀米雄斗・スケートボード「地獄のように苦しい日々だった」──ヒーロー・オリンピアンに学ぶ
パリ五輪のスケートボード男子ストリートで優勝した堀米雄斗が明かす、苦悩の日々とは? 【写真を見る】ベストトリック最後のチャレンジで大技に成功!
堀米雄斗「金メダルだけを狙って勝負に出ました」
スケートボード男子ストリートの決勝。メダル圏外の7位で迎えたベストトリック最後のチャレンジで、堀米雄斗はボードの先端を弾いてジャンプ、空中で270度回転してから後輪をレールに掛けて滑り降りるという大技を成功させた。 重圧がかかる場面で、超高難度の技を決めたことについて、堀米本人も「自分でも、ちょっと怖いですよね」と振り返った。「ああいう場面で、ここのところ乗れないことのほうが多かったから、自分でもびっくりしています。すごく焦っていて、自分に集中するのが大事なんですけれど、ほかの選手が新しい技を決めたりすると、すごく気になったりもしました」 なぜ、最後の最後にあの技を決めることができたのか。その理由を探るために、少し時計の針を巻き戻してもらった。実は東京五輪で金メダルを獲得してからの3年間は、堀米にとって地獄のように苦しい日々だったという。「東京五輪が終わってから急激な変化があって、それについて行くことができませんでした。スケートボードは大会だけじゃないカルチャーがあって、だから好きになったわけですが、スケートボーダーとしてどう生きていきたいのかという葛藤が生まれました。大会でも結果が出なくなって……」 自分だけの力ではどうしようもできないほど落ち込みがちだったと、堀米は当時を回想する。 金メダルを獲るには96.99という高得点が必要だったベストトリックの最後のトライで、堀米は見事に97.08をマーク。普段はクールな堀米がボードを蹴り上げ、叫び声をあげた。ここで決めたノーリーバックサイド270ブラントスライドは、世界で堀米だけが成功したオリジナルのトリックだ。 「コーチをはじめ、周りの人たちが支えてくれたことが大きかったですね。最後は自分と戦うわけですが、そうできる環境を作ってくれたからこそ、自分と向き合うことができました」 もうひとつ、東京で撮影した映像作品を2023年夏に発表したことも、大きな転機になったという。 「父もスケートボーダーで、格好いいビデオパートを見せてもらってきて、自分もいつかこういう作品を作りたいと思っていました。アメリカでは撮ったことがあるんですけれど、どうしても地元の東京で作りたかった。大会で成績を残すことと、映像作品を作ることの両方がないと、スケートボードが完成しない気がしていて、あのビデオは本当に大事というか、撮影も楽しかったし、いい作品になったと思います」 周囲に支えられ、映像作品の制作に取り組むことでモチベーションを高めていった時期に、オリンピックの決勝で決めたノーリーバックサイド270ブラントスライドが生まれる。 「オリンピックの予選シリーズでなかなかうまくいかなくて、なにかしら変えないといけないことには気づいていました。結果が出ない時期に、考え抜いて出たアイデアがあのトリックで、金メダルだけを狙って勝負に出ました」