「記者はつぶしがきかないなんて大間違い」ヒューマン・ライツ・ウォッチ笠井哲平さんがメディアで学んだ仕事の原点
全国紙の内定を辞退しグーグルへ
──そんなジャーナリストとしての原体験がある中で、どうしてファーストキャリアでグーグルへの入社という選択をしたのでしょうか。 笠井: 実は日本の全国紙1社から内定を頂いていました。ただ、日本式の就活にはとても苦労しました。当時はエントリーシートが全て手書きだったからです。 私は小学校から高校までアメリカの現地校に通い、土曜日に日本語の補習校に通っていました。日本語を読んだり話したりすることは問題ないのですが、今でも手書きはちょっと苦手です。手書きで応募書類を何とか提出できたのが、全国紙と通信社の計2社だけでした。 全国紙の方からは内定を頂いたものの、最終的には辞退することに決めました。面接時には問題なかったのですが、内定者向け懇親会の雰囲気がどうしても肌に合わなかったのです。 それまでは丁寧に接してくれていたのに、「おい新人、こっちに来て飲めよ」というような態度に変わった。フレンドリーに接してくれていたのかもしれませんが、仲間に一度入ったら、その場の雰囲気に合わせて行動しないといけない空気がありました。日系企業にある独特の同調圧力というのでしょうか、それが嫌でした。「この会社に入ると、せっかく身に着けた英語も使えないし、私生活を投げ打って働くだけのサツ回り(警察取材)の記者人生か」と思うと気が滅入ってしまったのです。それで内定を辞退しました。 そんな頃に私のビジネスSNS「LinkedIn(リンクトイン)」を見たリクルーターから連絡があり、グーグルの募集要項を教えてもらいました。実際に応募した後、通常のテストや面接を経て採用してもらえました。グーグルでは9カ月間働きましたが、「ジャーナリストになりたい」という気持ちはずっと持っていて、外資系メディアでポジションの募集が出れば応募しようと考えていました。
日本のことを世界に伝える責任
──それでロイター通信に移られたのですね。 笠井: 外資系メディアは新卒一括採用ではないので、ポジションが空いた時にしか募集がかかりません。募集時には「ジョブ・ディスクリプション(職務記述書)」と呼ばれる書類に職務内容が詳しく記載されていて、仕事の範囲が決まっています。日本のメディアでは記者は警察取材から仕事をスタートさせることが多いですが、外資系メディアでは警察取材を強要されることはありません。職務記述書で取材する範囲が決まっているからです。また、希望していない転勤も基本的にはありません。 ──ロイター通信での働き方はどのようなものでしたか。 笠井: ロイター通信に在籍した4年間のうち、最初はペン記者として、後に映像記者として働きました。基本的な勤務時間は平日の午前9時から午後6時ぐらいまで。自然災害や事件の発生に備えての週末勤務はありましたが、順番で回ってくるだけなので頻度は数カ月に1度ぐらいでした。ペン記者時代は「1日8時間」の中で働いて、映像記者になるとフレックスタイム制となり、夜遅くまで働けば翌日は昼頃に出勤するような形で時間を自由に使えていました。 一方で、取材の現場では記者クラブにアクセスできないなど、中央省庁や警察への取材がほとんどできなかったり、制限があったりしました。ロイター通信は日本の主要メディアの報道を引用する形で報道することもあり、その意味では日本のメディアの方々に支えられている面もあります。 ──ロイター通信で思い出深い仕事があれば教えてください。 笠井: ロイター通信時代には本当に多くの経験をさせてもらいました。「子どもの貧困」や「性暴力問題」などの社会問題を幅広く取材しましたし、北九州豪雨や東日本大震災から5年の節目の取材など災害の現場にも足を運びました。 ペン記者時代の思い出深い仕事の1つは、過激派組織「IS(イスラミック・ステート)」に殺害された湯川遥菜さん(享年42)の人物像に迫った記事です。 当時はISが暴力による恐怖でシリアやイラクを中心に勢力を伸ばしていました。各地で残虐行為を繰り返し、「従来の国家秩序を否定する過激派組織の台頭」ということで、多くのメディアは国際社会共通の脅威としてISの動向を報じていました。 そんな中で、湯川遥菜さんがシリアで拘束されたというニュースが飛び込んできました。取材当時はまだ安否不明の状態だったのですが、「湯川さんがなぜシリアの紛争地帯に身を置いていたのか」と疑問に思いました。そして、湯川さんの親族や知人、ブログなどをたどると、湯川さんが人生の再出発を探りつつ、海外に夢を追い、紛争地での「生きがい」に辿り着いたという人生の軌跡が見えてきました。 ISは当時、アメリカ人らを殺害する様子を写した動画を次々に配信していました。湯川さんは2015年1月、フリージャーナリストの後藤健二さんと共に殺害されてしまいました。ロイター通信東京支局の記者として、湯川さんの軌跡を世界に伝える仕事は大きな意義があったと考えています。 ──外資系メディアは世界に日本のことを伝える仕事ですが、その意義はどのように捉えていましたか。 笠井: 日本のメディアとはオーディエンス(読者、視聴者)の規模が違います。英語でニュースを配信すると、全世界の人に届くわけです。国内向けのニュースだけにとらわれず、海外の人に本当に知ってほしいニュースは何かを考えて仕事をしていました。 全世界の人に届く分、プレッシャーも大きなものでした。国際社会が日本に持つイメージに影響を及ぼす可能性があるので、偏見や先入観に基づいた発信ではなく、必ずファクト(事実)に基づいたニュースにしようと常々考えていました。 【後編に続く】 スローニュースでは、笠井さんのキャリアの選択、記者スキルの活かし方について詳しく報じています。後編では、ロイター通信記者として活躍していた笠井さんがなぜHRWへの転職を決めたのか。そして、記者時代に培ったスキルや知識が現在の仕事にどのように活きているのかに迫ります。
聞き手:韓光勲 構成:スローニュース
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