「記者はつぶしがきかないなんて大間違い」ヒューマン・ライツ・ウォッチ笠井哲平さんがメディアで学んだ仕事の原点
多角的に学んだマイノリティーの視点
──大学ではどういう勉強をされたのですか。 笠井: 入学した早稲田大学の国際教養学部は、専門教育よりも学際的な知見の習得を目指す「リベラルアーツ教育」に主眼を置いていました。海外留学が必修になっていたので、私はアメリカのカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)に1年間留学しました。 留学中は、国際関係論やアジア系アメリカンの歴史に関する授業を受けました。現代のテロリズムの背景について分析する授業があった一方で、同時多発テロ事件以降のアメリカによる「対テロ戦争」がイスラム教への偏見を生み、ヘイトクライム(憎悪犯罪)が発生している実態も学びました。 ──アジア系アメリカンに関する授業はどのようなものでしたか。 笠井: アジア系移民の歴史を網羅的に学びました。日系移民がどうやってアメリカに来たのか、その背景となる歴史に加えて、太平洋戦争中の強制収容の歴史も学びました。韓国系や中国系など移民の歴史や問題についても視野が広がりました。この授業に関心を持ったのは、私自身が共和党支持者が多い保守的な地域で高校生までの時間を過ごし、アジア系のマイノリティーとして差別を受けた経験があることに起因していると思います。
取材に応じてくれた路上生活者の女性
──ジャーナリストになるという思いは大学時代も変わりませんでしたか。 笠井: 変わりませんでした。大学4年生の時、ロイター通信とアメリカのテレビ局CNNの東京支局でインターンシップをしました。特にロイターでのインターンシップで、今でも自分の原点になっている取材があります。 当時は「ネットカフェ難民」や「マクドナルド難民」という言葉をニュースで聞くようになった頃で、「様々な事情で家を持てない人たちの問題が大都市では可視化されにくい」という現実がありました。この問題を世界の人に伝えたいと思って提案すると、企画が採用されました。そして、炊き出しなどの支援がさかんな「新宿中央公園」(東京)に足を運びました。 多くの人が口を閉ざす中、ある1人の路上生活者の女性がインタビューに応じてくれました。その女性が教えてくれたのは「福祉にアクセスしようにも自分に合わないものであったり、手続きが煩雑だったりしてうまくいかなかった」という自身が置かれた状況。その苦境を伝えたいと思って取材を重ねました。そして、編集者の力を借りながら何とか記事を配信することができました。 ニュース配信後、その女性から手紙が届きました。そこにあったのは<男の人にぼうりょくされました。しゅざいしてください>という助けを求める声でした。他の路上生活者の男性に暴力を振るわれていると訴えていました。 改めて話を聞こうと公園に行ってみたものの、その女性を見つけることはできませんでした。他の路上生活者に聞いてみると、「彼女は亡くなったらしいよ」という言葉が返ってきました。 その女性が本当に亡くなったのか。今でも確認することはできません。「自分がもっと取材して、問題を追及できていれば何か違う結果があったのではないか」と今でもふと思い出します。 一方で、この経験があったからこそ、ジャーナリズムの役割やその重要性について再認識しました。自分が取材しなかったら、彼女の存在やその苦境は誰にも知られなかったかもしれないのですから。 彼女からの手紙は今も大切に保管しています。あの時に感じた思いを忘れたくないからです。読み返す度にあの頃の初心を思い出すことができます。
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