「ラストエンペラーの姪」はなぜ“青森県出身の青年”とピストル心中を遂げたのか…実妹が明かしていた“天国で結ぶ恋”の知られざる真相
日本兵が何人も上にかぶさってくれ
が、それも束の間。敗戦により、皇帝と溥傑氏は捕えられ、ソ連の捕虜収容所に送られる。一方、終戦前に長女・慧生さんは日本へ帰っていたものの、浩さんと嫮生さん母子は満州を逃げまどい、昭和21年2月3日、通化事件に遭遇する。 八路軍支配下の旧満州国通化省・通化で、日本人居留民が蜂起するが、八路軍の反撃により、数千人にも及ぶ日本人が殺された事件である。 嫮生さんが言う。 「それが昼だったか夜だったのかもわかりませんが、突然銃撃戦が起きて、私と母を守るために日本兵が何人も上にかぶさってくれました。でもその人たちがマトになってどんどん亡くなっていき、また皇帝の老乳母の手首が砲弾の破片で吹き飛ばされ、『痛い、痛い』と叫びながらその手で顔をいじり回し、顔中が真っ赤に染まっていたことを覚えています。間もなく(乳母は)亡くなりましたが、その時の恐ろしさは表現のしようもございません」 その後、吉林や延吉などで留置場生活を送り、同行していた皇帝夫人・婉容(えんよう)皇后はアヘン中毒に苦しみながら無惨な死を遂げる。
ショックのあまり起き上がれなかった母
母子が大陸を離れ、上海から日本に向かうことができたのは、昭和22年2月のことだった。 収容所生活を続ける夫・溥傑氏とは離ればなれだったものの、日本に残していた長女・慧生さんと共に母子3人の平穏な日々が始まったが、昭和32年、世にいう「天城山心中」によって、その生活も終止符を打たれる。 学習院大学在学中だった慧生さんが、彼女に恋する級友と共に天城山で命を絶ったのだが、その姉について嫮生さんはこう振り返る。 「賢くて、なんでも知っていて、バイオリンやピアノ、それに謡(うた)いもものすごく上手。そして部屋にこもって本を読むことの多い、どこか近寄りがたいところもあった姉でした。ある日突然あんなことになり、遺体が確認されたと聞いた時は膝がガクガク震え、しばらくの間言葉も出ませんでした。母はあまりのショックで起き上がることもできませんでした」 〈天城山で二人は散った〉 〈天国で結ぶ恋〉 2人の死は美化され、大々的に報じられたが、肉親が明かす「死」の真相はとてもそんなものではなかった。
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