なぜイスラエルは苛烈な暴力をいとわない国家になったのか? 長く迫害されたユダヤ人の矛盾、イスラエル人歴史家に聞いた
―ユダヤ教はシオニズムとどう関係しているのか。 「あらゆる宗教は暴力の正当化に利用されます。当初のシオニストたちは世俗的なユダヤ人でした。彼らは宗教書であるユダヤ教の聖書を起きた事実に基づく歴史書とみなし、さらに法律書のように振りかざして、そこにある記述を基にパレスチナでの居住権を主張しました。最初から政治目的で宗教を利用したと言えます。 シオニズムに反対するユダヤ人もいますが、問題はそうした反シオニストがイスラエルでは少数派ということです。イスラエル国内でシオニズムに反対するのは非常に難しいですが、世界を見渡すと、シオニストではないユダヤ人のほうが多数派だと思います」 ▽劣等感と承認欲求に突き動かされて ―建国後のシオニズムの動きは。 「シオニズム運動を担ったのは欧州系ユダヤ人で、中でも社会主義重視のシオニスト左派と呼ばれるグループが主流派でした。英国のパレスチナ委任統治時代(1920年代~1948年)に大きな影響力を持ち、1970年代半ばまでイスラエルの政治を牛耳っていました。彼らは建国時にユダヤ人が多数派であることを維持するため、中東や北アフリカに暮らすアラブ系ユダヤ人を呼び寄せました。しかし、アラブ系ユダヤ人は欧州系ユダヤ人から「原始的で非近代的だ」と差別され見下されました。所得も低いアラブ系ユダヤ人は、劣等感と承認欲求から同じアラブ系のパレスチナ人に対し、過激で暴力的になることでパレスチナ人との違いを出し、社会的に認められようとしました。
一方、欧州系ユダヤ人の中には、武力によるパレスチナ人追放を重視するシオニスト右派と呼ばれるグループもあり、劣等感を抱いたアラブ系ユダヤ人が支持基盤になっていきました。 1967年の第3次中東戦争後、イスラエル軍はヨルダン川西岸を占領しました。その後、シオニスト右派のユダヤ人を中心に占領地に入植地を築き始め、今日に至ります。彼らの目標は西岸からのパレスチナ人一掃です。 パレスチナとの和平に取り組んだ左派政党は2001年以降、勢いが衰えていきました。きっかけの一つが2001年の米国の同時多発テロとされています。米国が掲げた「テロとの戦い」という言葉をイスラエル政府は利用しました。パレスチナ人の抵抗を抑え込む行為を「対テロ作戦」と呼んで対パレスチナ強硬策を打ち出しました。特に、右派が推進する苛烈な強硬策をユダヤ系国民が支持するようになったのです」 ▽ネタニヤフ政権の極右閣僚たち、その思想とは