田中碧はなぜ「ここぞ、という場面で点を取れるのか?」中村憲剛が感じた“あがき続ける才能”「三笘の1ミリ」からの得点に「やっぱりな、と」
「才能」とはいったい何なのか? この究極の難問に元サッカー日本代表にして川崎フロンターレのレジェンド、中村憲剛が挑んだ。『才能発見 「考える力」は勝利への近道』(中村憲剛著/文藝春秋刊)の中から「あがき続ける才能」「点をとりたいを実現する」の項を抜粋して紹介します。<全3回の第3回/第1回、第2回も公開中> 【決定的瞬間】持ってる男・田中碧が“三笘の1ミリ”からW杯初ゴールを決めた瞬間!
あがき続ける才能
川崎フロンターレでともにプレーした田中碧(あお)も、あがく才能、あがき続ける才能を持っています。 彼は2017年にユースからトップチームへ昇格しました。当時のチームではブラジル人のエドゥアルド・ネット、大島僚太、それに僕がボランチをすることもあったなかで、田中のプロ1年目だった17年シーズンは、クラブ史上初のJ1優勝を成し遂げました。 待ち望んだ歓喜に酔いしれるチームのなかで、ユースで背番号10を背負い、「アカデミーの星」とも評された田中は、公式戦の出場機会がないままプロ1年目を終えました。シーズン開幕早々の3月に手術を要するケガをしてしまい、およそ4か月の離脱を強いられたのも、出場機会を得られなかった一因でした。 それでも彼は、一日、一日を大切に過ごしていました。 現役時代の僕は、クラブの施設で長い時間を過ごしていました。午前中の練習前から準備をして、練習後に昼食を取り、昼寝をしたり身体のケアをしたりして、必要なら筋トレもする、といった感じです。一日の半分近くをクラブの施設で過ごすこともありました。 田中も、同じくらいクラブハウスにいました。午前中の練習後に昼食を取り、少し休んで、みっちり筋トレをやったりしていました。身体作りにも取り組んで、食べるものからサプリメントまで勉強していました。 ピッチ上では僕や大島、家長昭博、阿部浩之、18年加入の守田英正らと一緒にやることで、ものすごい量の情報をぶつけられていきます。情報処理能力が追いつかずにパニックになることもありつつ、処理した情報を実践して自分のモノにしていきました。川崎フロンターレが大切にしていた「相手を見ながらサッカーをする」という設計図を少しずつ理解して、自分の良さをいかせるようになっていきました。 J1リーグデビューを飾ったのは、プロ2年目の9月。初先発は11月でした。出場機会が増えたのは3年目で、4年目は主力と言っていいプレータイムを記録しました。 あがいて、あがき続けて、自分の地位を確立していったのです。1、2年目に出られなかった時間を、マイナスではなくプラスに変えて努力し続けたことで活躍する下地を作り、出場機会をつかんでからはその下地に実戦経験を積み重ね、試行錯誤を繰り返しながら凄まじい勢いで成長していきました。
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