「俺は本当にここでやっていけるのか」藤浪晋太郎30歳がいま明かす大阪桐蔭の記憶…心に刻まれた西谷浩一監督の呼び出し「藤浪、ちょっと来てくれ」
春夏連覇を達成した常勝軍団・大阪桐蔭のエースは遠くアメリカのマイナーで戦いを続けている。日本から訪ねると、柔らかな表情で迎えてくれた。30歳となった今、藤浪晋太郎が濃密だった3年間を振り返る。 発売中のNumber1102号[米国直撃]藤浪晋太郎(大阪桐蔭)「風が吹いたときこそ」より内容を一部抜粋してお届けします。 【写真】「えっ!何頭身なの?」大阪桐蔭時代の藤浪晋太郎197cmの長身からしなる長ーい手足…ライバル大谷に打たれた衝撃のホームランも!米国で当時を振り返る30歳藤浪の様子もあわせて見る
アメリカ大陸の辺境に藤浪晋太郎を訪ねて
ニューヨークのマンハッタンから北へ車で4時間ほど走るとカナダとの国境近くにシラキュースという街がある。かつては重工業で栄えたが、今は俳優トム・クルーズの出身地として、あるいは有名私立大学やニューヨーク・メッツ傘下の3Aチームの所在地として知られている。 7月10日、午後2時過ぎ。街の北西にあるシラキュース・メッツのホームスタジアムでは投手たちが外野の芝生でキャッチボールを始めていた。3mに満たない外野フェンスの向こうには未舗装の砂利道と茂みが広がっていて、ホームランが出ればボールはまず見つからないだろう。一枚板の客席に、ホットドッグとビールのフードカート。映画に出てきそうなマイナー球場で肩をならすメジャー予備軍たち。その中にひとり、チームメートの倍以上の距離でキャッチボールをしている投手がいた。彼の球はそれでいて誰よりも低く伸びていく。頭ひとつ抜きん出た長身と黒髪だけでなく、このスポーツへの取り組み方そのものが周囲とは異質なのだと分かる。 日本各地で高校球児たちが地方大会を戦い始めた7月半ば、藤浪晋太郎は1万500km離れたアメリカ大陸の辺境にいた。 〈高校の時、練習中に「自主課題」という時間があったんです。それぞれが自分に必要なメニューを考えるんですが、そこで自分はよく遠投をしていました。50mくらいの距離でゆっくりと球を伸ばす練習です。他にもシャドーピッチングやフィールディングなどもやっていました〉
大阪桐蔭でスタート「俺は本当にここでやっていけるのか」
まだ合衆国の大統領がバラク・フセイン・オバマ2世だった2012年、藤浪は大阪桐蔭高校で史上7校目となる甲子園春夏連覇を成し遂げた。あれからもう日本の干支がひとまわりするほどの時間が流れたが、彼は青年期の濃密な時間を、まるで昨日の出来事であるかのように語った。 〈個人的には、大阪桐蔭の強さは受け継がれてきた伝統にあると思っています。入部して最初の日、1年生は先輩たちのノックを見るんです。誰もがそこで、俺はとんでもないところに来てしまったと後悔する。強度も緊張感も技術レベルもとんでもないです。しかも大人によって生み出される緊張感ではなく、少しでもカバーリングを怠ったりすると選手同士で指摘し合っている。新入生はみんな中学で有名だった選手なんですが、俺は本当にここでやっていけるんだろうかと鼻をへし折られるところからスタートするんです〉 大阪府大東市の生駒山に開かれたグラウンド、そこには圧倒的な熱量と緊迫感と、その上での一体感があった。そして藤浪も後になって分かったことだが、その異様な空気の元をたどれば一人の人物に行き着く。今春、甲子園の歴代最多勝利監督となった西谷浩一である。 〈精神論って好きじゃないんですけど、やっぱり西谷先生に何度も言われた、粘り強く、泥臭くというのが自分の原点にはあります。本当に何度も何度も言われましたから……。またそのタイミングや話し方が上手いので引き込まれるんですよね〉
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