太川陽介「いや、本当に大嫌いでしたよ(笑)」『バス旅』蛭子能収との撮影秘話「こんなに長く乗り続けるとは夢にも思わなかった」テレビから離れていた時期に訪れた転機
『バス旅』にとっては第2回が「CHANGE」の瞬間
そんな『バス旅』にとって、「CHANGE」の瞬間があったという。 「第2回の時。途中、バスが繋がらなくてさあどうしよう、っていうときに、ディレクターが僕に“ここはバスがないし、どうしても繋がらないので、ロケ車で移動しましょうか?”って言ってきたんです。 それまでのテレビってそういうものだから、それもあるかなと僕は思ったんだけど、一応リーダーって言われたから、僕一人だけそれを知ってるのも嫌で、二人にちゃんと説明して、みんなで決めようよ、ということになって、その話をディレクターがゲストと蛭子さんの二人に話をしに行ったんです。そうしたら、その回のマドンナ(番組の女性ゲスト)の相本久美子さんが“そんな嘘をやってしまって、もしそれがどこかで見られて、嘘をやってるって言われるのは私は嫌だ”って言ったんですよ。“歩きましょう”と。その言葉で初めてみんな“よし、本当にガチでやろう”ってなったんですよね。 もしも、そこで“とりあえずロケ車に乗っちゃいましょう”とやってたら、バス旅の歴史は変わってたと思います。相本久美子さんのその一言で、よしガチでいこう、って腹をくくった。番組の方向性が確かになった瞬間でしたね」 出演者の一言で番組の方向が定まり、人気企画となった「バス旅」。ただ、ガチにもほどがあるそのスタンスのおかげで十数キロの徒歩は日常茶飯事に。 「最新の収録でもけっこう歩きましたよ(笑)。数キロ歩くぐらい普通になってますもんね。食事もできないときもあって、晩御飯をカップ麺にしましょう、というときもありました。旅番組ではあり得ないですよね(笑)。だから僕、テレビ東京のスタッフに言ったんですよ。“これやったら他の旅番組、みんな駄目になっちゃうけどいいの?”って。“こんなことやっちゃったら、作り物っぽいものが全部駄目になるよ”って。そうしたら実際、普通の旅番組がなくなっちゃいましたよね」 ある意味「旅番組」の歴史を変えてしまった「バス旅」。2016年には前代未聞の映画化も。太川さんは「番組はツイている」という。 太川陽介(たがわ・ようすけ) 1959年1月13日、京都府生まれ。A型。T171。1976年「陽だまりの中で」でレコードデビュー。翌1977年、3曲目の「Lui-Lui」が大ヒット、同年暮れの第19回日本レコード大賞を初め、各音楽大賞の新人賞を獲得。1978年よりNHK総合「レッツゴーヤング」の司会を務める。その後、主に舞台を中心に俳優、タレント、ラジオパーソナリティなど活動の場を広げ、2007年10月にスタートした『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(通称「バス旅」)ではリーダーとして一行の取りまとめ役を担い、人気を博す。現在では2024年に始めた自身のYouTubeでもバス旅企画を行っている。 田部井徹
田部井徹
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