【高校野球】習志野・石井好博元監督との「出会いに感謝する会」が開催…発起人のヤクルト・小川GM「自分を変えてくれた恩人」
昨年11月に74歳で急逝した千葉・習志野高の元監督、石井好博氏との思い出を語る「石井監督との出会いに感謝する会」が14日、同・浦安市内で開かれた。式では過去の映像とともに石井氏の人生を振り返る一幕もあり、諸事情で出席がかなわなかった発起人の一人で元阪神の掛布雅之氏(スポーツ報知評論家)からもコメントが寄せられ、「石井さんのご家族が少しでも喜んでくれるといいですね。いい会になることを祈っています」と代読された。 同じく発起人の一人であるヤクルトの小川淳司GMは、高校入学当初は捕手をしていたが、1年秋から石井氏に指名され、投手に転向したという。当時を「突然、ピッチャーに指名されたわけですよ。その理由は今でも分からないですし、今となってはもう聞けなくなってしまった。自分の一つの分岐点、大きなきっかけになったことが投手(転向)だった」と回顧。さらに「『出会いに感謝する』、それが全てですね。3年間みっちり鍛えられましたから。時代でしたので、いい思い出よりも、しごかれた思い出がほとんど。指導してもらったことが、今につながって、今もまだ67ですけど、プロ野球に携わることができ、それもこれも、石井さんとの出会いがあるから。全てが思い出ですね。自分を変えてくれた恩人です」としみじみと振り返った。 教え子のロッテ・福浦和也氏(現1・2軍統括打撃コーディネーター)は「本当に恩師ですね。あの3年間がなかったら今の僕はない。(高校時代の)あの当時は怖かったですけどね、(プロ入り後は)どんどん優しいお父さんみたいになっていった。現役時代も食事も一緒にさせてもらいましたし、キャンプにも来てくれた。本当に突然のことでびっくりした。オフもたまに連絡をもらっていたし、まだまだという感じでしたからね」と話した。 石井氏は千葉・千倉町(現・南房総市出身)生まれ。習志野では1967年夏の甲子園でエースとして県勢初の全国制覇に貢献。早大を卒業後、75年には26歳で指揮官としてエース・小川淳司を擁して夏の甲子園を制覇。選手、監督の両方で甲子園優勝を経験した。元阪神の掛布雅之氏や、元ロッテの福浦和也氏ら多くのプロ野球選手を育てるなど、名伯楽として知られた。
報知新聞社