住民に敬遠されていた養鶏所が集まって… モーニングからスイーツまで「たまご街道」が人気観光地かした軌跡
「近くの小学生を職業体験で受け入れてもおり、子どもたちの考えたメニュー6種類を店で出したことも。そうした子どもたちがバイトに応募してくれる日を妄想しています」 ■卵を購入した客に年間300通の手紙 同じような努力は昔の味たまご農場でも続けられている。前述のハンバーガー屋では学生向けに通常料金の半額の出世払い価格が設定されている。この地で長く事業を続けられてきたことの恩返しをしたいという思いからで、赤字でも続けているが、根底には養鶏を知ってもらいたいという思いもあることだろう。
また、田中さんは卵を買ってもらったお客さんに向けて年間300通もの手紙を書き、直売店の店頭には手作りの新聞が置かれている。これは養鶏業に理解を求めると同時に、昔の味たまごのファンを育てるためのもの。このエリアの養鶏場はそれぞれに飼料に工夫を凝らすなど品質向上に努めており、その中で選ばれるためには養鶏場のキャラを作っていく必要があると思っているそうだ。 各養鶏場がそれぞれ個別に模索を重ねているわけだが、残念ながら限界もある。確かに以前に比べれば臭いは少なくなり、ハエも発生しにくくはなったが、いくら努力してもゼロにはできない。生き物を飼育している以上、無臭、無音などはありえず、まだまだ暴言にさらされている事業者もある。養鶏場移転を信じた人たちのうちには、いまだに移転を願っている人も少なくない。
そこで、この土地に養鶏場を残し、続けていくために事業者が連携して情報を発信し、理解を得る努力をわかりやすく形にした旗印がたまご街道である。 「10年ほど前、存続のためにみんなで集まり、共同の旗を揚げようと1軒ずつ回って声をかけ、麻溝畜産会を結成しました。全養鶏場でたまご街道というのぼりを立てることにしました」と当時を振り返るのはコトブキ園の角田隆洋さん。 コトブキ園は海軍将校だった角田さんの祖父が創業した。当初は横浜に養鶏場があり、祖父は東神奈川にあった闇市にリヤカーを押して卵を売りに行っていたそうだ。