「棟方志功が心の中に住んでいると、生き方が変わってくる」…小説『板上に咲く』で再注目、世界的版画家の魅力とは
福光以降の作品にある「泳ぐような浮遊感」
志功の画風は福光で大きく変化していった。 記念館に勤めて毎日志功の作品を眺めていると、だんだん目が慣れてきて「あ、これは福光以前の作品。これは福光以降だね」と見えてくる。福光以降の作品は力が抜けて泳ぐような浮遊感があるのだ。 疎開を終えて東京に戻っていった志功はやがて世界で認められていくのだが、その第一歩となる初の国際展での受賞作は福光で生まれている(「女人観世音板画巻」)。 というと福光で志功の才能が開花したような誤解を生むのだが、実は「世界のムナカタ」として本格的に名を知らしめるきっかけの一つとなった作品は、福光に来る以前にすでに仕上がっていた。志功の代表作中の代表作「二菩薩釈迦十大弟子」である。 この作品の板木は本当であれば、東京の空襲で燃えて灰になっているはずだった。しかし志功の妻チヤが戦火に呑まれる直前に「釈迦十大弟子」の板木を東京から福光に危機一髪で疎開させた。 残念ながら「二菩薩」の板木は燃えてしまったが、助け出された「十大弟子」は、福光で彫り直された新しい「二菩薩」と共にベネチア・ビエンナーレに出品され、大賞を受賞し志功の名を世界に轟かせていったのだった(写真中の屏風「二菩薩釈迦十大弟子」の両脇には、板木が燃える以前に刷られた「二菩薩」が展示されている)。この奇跡のいきさつは『板上に咲く』でぜひお楽しみいただきたい。
制作中の志功が頭に巻いているモノは?
ところで、志功が無心に板画を彫っている姿を動画か写真でご覧になったことがあるだろうか。ちょっと注目していただきたいのは、その真っ最中の志功の頭である。 いつもぐるりと頭に「何か」が結ばれている。志功は汗、唾、涙、鼻水、興奮すれば何かしらを辺りに飛び散らせて分泌液が多い。だから私は最初、「これは汗どめのタオルだろう」と思っていた。ところがよく見ると、それはタオルでも手拭いでもなく、和紙をこよった「ヒモ」なのだ。 棟方志功を知らなくても生きていける。でも、棟方志功を知っていると、生き方が少し変わる。 志功は自分の中に宿る仏様を祀って生きた人である。 土居彩子(どい・さいこ) 1971年富山県生まれ。多摩美術大学芸術学科卒業。棟方志功記念館「愛染苑」管理人、南砺市立福光美術館学芸員を経て、現在フリーのアートディレクター。 デイリー新潮編集部
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