武田信玄は『人は城、人は石垣、人は堀』と宣うた。後楽園球場に侍が集結したから偉業が達成された!【堀内恒夫の悪太郎の遺言状】
無安打無得点と3打席連続弾! 大谷翔平も真っ青な投打二刀流
筆者の引退試合はもちろん後楽園球場。数々の記録を達成した「勝手知ったる我が家」だった
1987年シーズンのオフに後楽園球場は取り壊されて、巨人の本拠地は88年から屋根付き球場の東京ドームとして生まれ変わった。だが、旧本拠地の後楽園球場には、俺のプロ野球人生のすべてが凝縮されていると言っても過言ではない。 まず、プロ2年目の67年10月10日に後楽園球場で行われた広島戦では、史上38人目のノーヒットノーランを達成した。と同時に、ピッチャーとしては49年に巨人に在籍していた川崎徳次さん以来の史上2人目となる1試合3本塁打を放ったんだよ。 しかも3打席連続して叩き込んだから、エンゼルスの大谷翔平も真っ青な投打二刀流のワンマンショーだった。 俺は4打席連続を狙っていたが、残念ながら4打席目は中前安打に終わった。味方の攻撃が終わり落胆してベンチへ戻ると、連続打席本塁打は途切れたが、「まだヒットは1本も打たれてない」と言われたんだ。試合の終盤にきて四球を4つも与えていたから、まさかノーヒットノーランが継続しているなんて思いもしなかったからね。 広島最後の打者がカウント3-1となって、ベンチにいるピッチングコーチの藤田元司さんから・・・
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週刊ベースボール