宮城・南三陸町長が記者会見(全文1・冒頭スピーチ)復興の状況など
来年オープン「さんさん商店街」の設計は新国立競技場の隈研吾さん
で、あとはもう1つは利便性の関係ですが、皆さまご承知だと思いますが、「さんさん商店街」って本当に土日になるとだーっともう人が並んで並んでという、もうそういう商店街。いまだにそうなんですが、土日になると。そのさんさん商店街を本設で、今年から建設工事が始まって、来年の3月3日、さんさん商店街なので3月3日なんだそうですが、その日にオープンをしたいということで工事が入っていくと。 実はこのさんさん商店街の建物の設計、これは新国立競技場の隈研吾さんです。隈研吾さんといろいろグランドデザインも含めていろいろ親しくお付き合いを3年前からやってるんですが、それから、あとはさんさん商店街がそのようにスタート、工事が入っていくというのと、それから、あとはスーパーが昔、震災前からあったスーパーが、いよいよ造成工事がいま、かさ上げをやっておりまして、高台の土を削って、下のほうにいま入れてるんですが、そちらの工事もいま、順調に来ておりまして、そこも来年の8月にはオープンをしたいということになりますんで、ある意味、基本的に町に帰還をしたいといっていた3つの条件。医療、教育、利便性と。これがやっと来年、あと1年ちょっとで完成をするということにこぎ着けたというふうに思います。
主幹産業、水産業と観光業について
すいません。ちょっと長くしゃべりすぎて通訳が大変なのでもう少し短くしろと言われました。短くします。あと、うちは基幹産業が水産業と観光です。で、水産業はどちらかというと養殖漁業です。カキとかホヤ、ホタテ、ワカメ、こういうのを養殖しておりますが、一番の水揚げ高で多いのは秋サケ、サケの水揚げです。 うちのサケは、川に上がったサケをそれを捕って、卵を取って、それに精子をかけてそれを孵化をさせると。で、11月ごろに川に上がったサケを捕ると。それを孵化場に持っていって、孵化をさせて翌年の3月に放流をする。だいたい5センチぐらいに大きくして放流するんですよ。ですから、それがだいたい、だいたい帰ってくるのが4年後、川から放して4年後に帰ってくるんです。ずっと前からうちの町の主力魚種ですので、毎年1000万尾放流しておりました。回帰率って決まってますんで。 で、実は震災の年も震災の4年前に放流したのが、震災の秋に帰ってくるんですよ。でわれわれの期待どおりにその秋にサケが帰ってきました。これは、漁民の皆さんの現金収入です。まさしく復興の、本当に当時とすれば足掛かりになっていたのが、その秋サケでした。ところが、震災の年、5年前ですか。そのときは3月に放流するんですよ。ところが津波が放流する前に来たものですから、昨年がちょうど4年目だったのです。サケは神秘な魚ですから、なぜ自分の放流された川に帰ってくるかと、いろんな説がいろいろありまして分からないんですが、非常に神秘な魚です。 で、去年の秋は川から放流してなかった、4年前、震災のとき。ですから、川に上がらないんですよ、ほとんど。上がらないってことは、サケの親魚(しんぎょ)、親魚(おやぎょ)っていうんですか。それが捕れない。捕れないってことは卵が採れない。卵が採れないってことは、来年、放流できないという、そういう大変厳しい現実が去年の秋、ございました。 おととしの一番の水揚げは震災前を超しました。オーバーした。ところが残念ながら去年の秋、そういう秋サケが帰ってこないっていうことで、まただんと沈んだ。たぶん、しばらく震災後に1000万尾はもう、まったく無理だと思うんですが、500万尾ぐらいしか放流できませんでしたので、これから4年ぐらいは大変厳しくなるのかなというふうな、これは覚悟をしなければいけないと思っております。 それからもう1つの基幹産業が観光業ですが、これは震災前、うちの町で100万人ぐらいの方々がうちの町にお入りをいただいたんですが、震災の年はご案内のとおり、ボランティアの方々ということで36万人ぐらいでした。そのあと、もう80万、90万ぐらいっていったの、また今度落ちてきます。従って、今度他方には風化というか、そういう問題も非常に色濃く影響しているのかなと、そんな思いがいたしております。 そろそろ終わりという合図が来ましたので、人口減少の問題とかさまざまな課題がまだまだ山積しております。ただただ、われわれとしてはこれからも町民の皆さんと手を携えながら頑張っていきたいというふうに思いますので、どうぞ皆さま方にはこれからもよろしくお願いを申し上げたいと思います